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越中宮崎城(2) ~ 木曽義仲見参

 越中宮崎城の第2話です。

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 三の丸には、宮崎太郎供養塔があります。その隣には北陸宮の塔があったのですが、現地にいるときは北陸宮の意味がわからず、写真をとりませんでした。

 帰ってから調べました・・・

*時は平安時代、都では平氏が栄華を極めていました。1179年、平氏は後白河天皇を幽閉し、憲政をほしいままにしたのです。

 そこで、後白河天皇の第3子:以仁王(もちひとおう)は、1180年、全国の源氏に対して、平家追討の詔を発しますが、平氏の手にかかり惨殺され、第一子は越前へ逃れます。

 その頃、源氏の木曽義仲が信濃にて挙兵します。1181年、木曽義仲は越後にて平氏を破り越中に入ります。1182年には、以仁王の第一子を北陸宮(ほくろくのみや)として奉じ、ここ宮崎城に御所を造営しました。北麓の宮をお守りしたのが宮崎太郎さんでは?ということのようです。

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 三の丸から二の丸の塁壁を見上げました。

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*1183年、木曽義仲は越中と越前の国境「倶利伽羅峠」で平氏を破り、京都に入り、後白河天皇を解放します。木曽義仲は北陸宮の皇位継承を主張しますが、このことで後白河天皇の反感を買います。

 1184年、後白河天皇の意を汲んだ、源頼朝の軍勢により、木曽義仲は滅亡し、北陸宮は亡命、宮崎城の御所も一時の夢となれ果てたのでした。

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 イメージ図、二の丸の左わきを登りながら、二の丸の塁壁を見上げました。石垣が往時のものかは判断がつきません。

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 イメージ図、二の丸のわきを進む道が、反対方向に折れ曲がる角のあたりから、本丸腰郭方向を見上げました。このあたりは攻城兵に方向転換を強いて停滞させ、そのうえで三方向から射撃を加えることが出来、技巧的です。

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 二の丸です。

 こ遠征のあとで、新しいデジタルカメラを購入しましたので、もう、このような写真をお見せすることは無くなると思います。平にご容赦を・・・

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 二の丸から本丸腰郭への通路は屈曲土橋となっており、横矢がかけられるようになっています。

 上杉謙信宿営へ続く・・・

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