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更科荒砥城(2) ~ 屋代秀正籠城

 荒砥城の最終話です。

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 荒砥城は、葛尾城を本拠とする村上氏の配下、山田氏の城でした。

 しかし、戦国時代になると武田信玄が信濃へ侵攻して、村上氏は次第に追い詰められていきます。

 1550年には、反武田連合を組んでいた小笠原長時が、信玄に領地を追われ、村上氏のもとへ逃げ込んできます。それを見た川中島の寺尾氏は信玄の傘下へ、これで村上氏は南北から挟撃されることに。

 翌1551年には、有力支城の砥石城を信玄配下の真田幸隆に乗っ取られてしまいます。

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 1553年になると、村上氏の重臣屋代氏らが武田信玄に内応するに及び、村上氏は所領を捨て越後へ逃れます。屋代氏の領地は、川中島を制覇するための前進基地として信玄に公収され、屋代氏は替わりに荒砥城を与えられました。
 武田家が川中島支配を確定させると、屋代氏は信濃先方衆として、各地を転戦します。

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 風林火山の海の口城撮影も、ここ荒砥城でしたね。

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 1582年に武田家が滅ぶと、屋代秀正は織田家森長可の配下となります。

 同年、本能寺の変にて織田信長が倒れると、越後から上杉景勝が侵攻し、屋代秀正は、景勝の配下となります。しかし、その後、すぐ南の真田昌幸が徳川家康の配下となると、屋代氏は秘かに、徳川家康と連絡を取り合うようになります。

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 1584年、豊臣秀吉と徳川家康が対立し、小牧長久手の戦いへと・・・

 豊臣秀吉は、徳川方の木曽氏を内通させ、徳川方の動揺を誘います。

 徳川家康もこれに対抗しました。

 豊臣方の上杉景勝に仕えていた屋代氏を挙兵させます。

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 屋代秀正は、荒砥城に籠城しますが、小牧長久手に大軍を動員している徳川氏は援軍を出せず、小牧長久手に出陣していない、上杉景勝が裏切り者を血祭りに上げようと、荒砥城を包囲します。

 窮した屋代秀正は、荒砥城を脱出し、徳川領へ逃れました。

 荒砥城は、屋代氏が去ったあとに、破却され、廃城となったようです。

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 荒砥城の遠景でお別れです。

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