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佐久小田井城(3) ~ 北条勢が活用

 小田井城の最終話です。

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 「い」の郭から、「あ」の郭方面を眺めています。左奥の方です。

*1582年、武田家が滅亡、そして、同年6月2日、武田家を滅ぼした織田信長が本能寺に没すると、信濃は無主の地となります。

 関東の雄、北条氏直は信濃を手中に収めるべく、碓氷峠を越えて佐久に侵入します。7月12日のことでした。

 天正壬午の乱勃発です。

 北条氏直の母は、武田信玄の娘であったため、氏直は母の地をとり返すという大義名分を持っていたようです。

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*北条勢は5万とも言われる大軍でした。駐屯場所に困った北条勢は広大な小田井城を兵站基地として活用したとする説が有力です。

 イメージ図、左側に描いた障子堀は、北条氏がよく使う技法ですので、北条氏による改修であるとみられています。

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 井戸跡は、耕されてしまっていました。

*北条軍は、甲斐に侵攻して、徳川家康と対陣しますが、戦局は硬直し、10月29日、両者は和睦します。

 信濃は徳川家康の切り取り自由という条件です。

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 「い」の郭と「あ」の郭を隔てる堀が、ヘリに若干残っています。

*北条氏は佐久から撤退しますが、陰では、佐久の土豪に支援を続けていたようです。

 小田井城にも、徳川にナビカナイ土豪が立てこもっていました。

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 ヘリ以外は、見ての通り、埋められてしまいました。

*徳川家康から佐久平定を命じられた依田信蕃は抵抗する土豪の城を次々と落としていきます。

 そして、11月7日、小田井城も落城したとの記録が残っています。

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 「あ」の郭です。

 大軍を擁する広さを持ちながらも、佐久の中心から東にそれていたので、佐久を治める城とは成りえなったのが、小田井城の性格なのでしょう。

 ホームページ 「土の城への衝動」
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