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佐久小田井城(1) ~ 広すぎた城

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成23年8月6日には、お城仲間のМさんと佐久小田井城に行って参りました。

小田井城アク

 長野県北佐久郡御代田町御代田にあります。
 しなの鉄道線「御代田駅」南方約1,5キロの県道137号線添いに、アサヒ紙工さんがあり、その南方が城域です。

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 小田井城の特徴は、その広大さです。

 同じ佐久の政治の中心となった小諸城址「懐古園」の倍以上楽にあります。

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 イメージ図を作成しました。三方向を断崖に囲まれた天然の城地です。

 しかし、あまりに地形の制約が激しいため、縄張りと防衛構想に選択の余地が無いのが欠点といえましょう。

 いち土豪レベルでは、本郭とオボシキ、「あ」の郭でさえ、兵を満たすのは困難です。


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 イメージ図、左側、障子堀の西側の写真です、堀の中央に土塁があります。

 木々に遮られ、よく見えませんね。

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 東側の堀です。

 堀幅と、障子の存在から、この部分は戦国末期の改修を受けているものと推察いたします。

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 「う」の郭、西側の写真です。広いです。奥の方に「え」の郭の土塁ラインが見えます。

 日本城郭体系によりますと、創設に関しては不確かな伝承があるのみで、はっきりしたことはわからないようです。

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 現地解説版では、1520年代に築城され、小田井又六郎が在城した。1544年に武田信玄の侵攻を受け、落城したとされています。

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 「え」の郭北側のラインは、堀が埋められ、段差のみとなってしまっています。

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 「え」の郭、南側のラインは堀が残存しています。

 板垣信方布陣か?へ続く・・・・ 

 ホームページ 「土の城への衝動」
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Comment
Re: 『里見の郷』歴史フォ-ラム
お師匠。ご来訪有り難うございます。

板鼻城主が、里見氏であった時代があるとは驚きました。
前後の経緯などこれからの解明がたのしみですね。
お師匠も大学院へ進まれますか。
レポートは大変ですが、目から鱗で、感動することもあります。
それでは····
『里見の郷』歴史フォ-ラム
9月24日に歴史フォ-ラムが開催され参加しました。里見氏についての講演でしたが、
里見氏は北方まで進出していて、現在も金蔵寺(渋川市)や宮田不動尊(赤城村)で痕跡が
残っていることを教えてもらいました。また特に驚きであったのは慶長十三年(1608)
に里見忠重が板鼻城主であったことが安中の長伝寺に文書があり、新しく発見されたことが報告されました。まだまだ里見氏は研究の余地が残されているようです。
 大学院の通信教育を受けておられるようですね、実は私も同様に考えて法政大学の案内書を取り寄せたところです。
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