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福与城(3) ~ 波乱万丈

 福与城の最終話です。

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 本郭下の段から、南郭方向を撮影しました。

 藤沢頼親は、三好長慶のもとで居候しておりましたが、1564年、長慶が死去すると、もう、居場所がなくなり・・・ 事の経緯は不明ですが、ナント! 信玄に許され故郷に復帰しました!

 信玄は、3度も裏切った藤沢頼親を許したのでしょうか?

 実に不思議です。

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 本郭から見下ろした北郭です。

 藤沢頼親を許した信玄でしたが、頼親を福与城に入れることはしませんでした。領地もごくわずかであったと思われます。

 藤沢頼親は、防御性の低い平城「田中城」に居住し、武田家への忍従を態度で示したのでした。

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 北郭から撮影しました。本郭の塁壁を下りてくるМさん&Wさんです。

 お二人の小ささから塁壁の規模が伝わりますでしょうか?

 本能寺の変で織田信長が倒れると、藤沢頼親はこの地に侵攻してきた、徳川家康の傘下に加わります。

 このとき藤沢頼親は、福与城に復帰したものと思われます。

 そして、徳川家康の支援で深志に復帰した小笠原氏と統一行動をとることとしました。

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 二の郭(左)と北郭を隔てる堀です。大分、埋まってしまっていますね。

 その後、北条の大軍が信濃に侵攻すると情勢は急変、北条氏の支援で諏訪氏が諏訪領へ、保科氏が高遠領へ復帰すると、小笠原、藤沢連合も北条に同調します。

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 二の郭です。

 しかし、しかし、徳川家康は甲斐新府城で体制を整えると、北条軍を各個撃破したため、情勢は逆転!

 真田氏、保科氏が徳川へ帰属します。

 徳川と北条の和睦が成立し、信濃は徳川家康の切り取り次第となったため、諏訪氏も家康に帰属します。

 藤沢頼親は、周囲が徳川派だらけになっても、小笠原氏との連携を重視し、徳川の参加へ入ることを拒みました。

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 二の郭の突端から見た、本郭方向です。

 福与城は、保科氏ら徳川勢に囲まれ落城し、藤沢頼親は自刃して果て、藤沢氏は断絶しました。

 正に、波乱万丈の一生でした。

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 福与城から見た、上伊那の風景でお別れです。

 ホームページ 「土の城への衝動」
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Comment
Re: 伊那の名城ですね
 らんまる様、ご来訪有り難うございます。

 福与城は、武田の手が入った記録がありますので、横堀や、馬出しや、
枡形があってしかるべきだと思うのですが、そこいらへんも含めて、耕さ
れてしまったのだと思います。

 伊那も密集地帯ですね。その気になれば一日20城まわるのも夢ではあ
りません。

 らんまる様も、遠征先のひとつに加えられては如何でしょうか?
伊那の名城ですね
武蔵の五遁さん、南信濃の攻城戦お疲れ様です。

武田軍が50日間取り囲んでも落とせなかった城として有名ですよね。小生も是非チャレンジしたい場所です。
鈴岡城の小笠原信定が後詰めをしていたら、藤澤頼親のその後の人生も変わったのでしょうか?

伊那谷にも300を越える城館があると聞き及びます。
意外な発見がありそうですね。遠征の楽しみな地域になりそうですw
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