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福与城(2) ~ 裏切りと屈服の繰り返し

 福与城の第2話です。

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 南郭を進んでいく、Мさん&Wさんです。

 さて、戦国の巨星「武田信玄」がこの地に侵攻する頃の藤沢家当主は「藤沢頼親」でした。

 1542年7月、武田信玄は諏訪氏を攻め滅ぼします。この際、藤沢頼親は、高遠頼継とともに武田方に加わったとされています。高遠頼継は諏訪西部を、武田家は東部を保有しました。

 しかし、2ヶ月後の9月、藤沢頼親と高遠頼継は、武田に反旗を翻し、諏訪における武田方の所領を荒らしまわります。(1回目の裏切り)

 信玄はスグに、軍勢を派遣し、両氏を諏訪から駆逐します。

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 南郭と二の郭を隔てる堀には土橋がかけられています。

 しかし、これは近世に造られたもののようです。

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 この写真が近世構築の証拠です。

 1545年、武田信玄は諏訪上原城を出立すると、杖突峠を越えて、高遠城を攻め落とし、そのまま福与城を囲みます。信玄の軍勢は、3500、福与の守兵は1500であったとされます。

 藤沢頼親は、弟を人質に出し、信玄に降伏、福与城は焼き払われます。

 1548年2月、上田原の戦いで武田の敗勢が伝わると、藤沢頼親は小笠原氏に与し、武田の諏訪領を荒らしまわります。(2度目の裏切り)

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 二の郭と南郭を隔てる堀は幅が広く、往時のまま残っていると思われます。

 同年、7月、武田信玄は塩尻峠の戦いで、小笠原長時を撃破! 後ろ盾を失った藤沢頼継は再び、信玄の軍門に下ります。このとき信玄は福与城を改修して再使用を始めています。

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 本郭に入りました。

 3年後の1551年、藤沢頼親は、小笠原長時とともに中塔城に立てこもり、武田に抵抗します。(3度目の裏切り)しかし、翌年に中塔城は陥落。小笠原長時と藤沢頼親は京都に逃れ、浪人となります。

 波乱万丈へ続く・・・

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