FC2ブログ
HOME   »  中世城郭  »  染屋城 ~ 徳川軍の背後を突け!

染屋城 ~ 徳川軍の背後を突け!

皆さん、こんにちは。
中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
平成23年6月5日には、染屋城へ行って参りました。
お城仲間のМさんにもお付き合いいただきました。長野県上田市古里にあります。

005_20110724101507.jpg

 染屋城は、有名な第一次上田合戦において、重要な役割を果たしたのではないかと、私は推察しています。

 イメージ図をご覧下さい。徳川軍は上田城を攻めるために近くまで兵を進めました。

 その際、砥石城にいた真田信幸は、徳川軍が罠にはまったことを確認すると、伏兵を率いて徳川軍の背後に回り、上田城から打って出た真田軍と共に、徳川軍を挟撃したのです。真田の伏兵全員が砥石城にいたとは考えにくく、伏兵の大半は染屋城に潜んでいたと思われます。

 正面と背後から挟撃された徳川軍は敗走し、第1次上田合戦は真田の勝利となりました。

154.jpg

 上信越自動車道上田菅平インターを降りて、国道144号を西へ進み、古里西交差点から市道を南へ下り、道が段丘を下る前にあります。本丸には豊染英神社があるのですが道からは見えません。写真はその神社です。

 幸いにも地主さんがいらして、縄張りについて説明をして下さいました。

006_20110724101921.jpg

 河岸段丘の突端の両脇に谷が食い込んでいる地形を利用しています。

 往時は、二の郭の北側にも土塁があった・・本郭は全周土塁に囲まれていたと推察されます。

 また、北側の道には「食い違い」が連続して施され、総構えがあったのかもしれません。

161.jpg

 地主さんの説明によりますと、この池は三の郭北側の堀の跡だそうです。

 写真奥の家の左側は道路で、これも堀の跡とのことです。

162.jpg

 その道路のアップです。堀跡との説明に納得です。

159.jpg

 二の郭は農地として活用されていました。

 さて、関ヶ原合戦に連動して生起した第2次上田合戦で、徳川軍は前回の教訓を生かしました。

 背後を突かれないように砥石城を攻略して、染屋台に陣取ったのでした。染屋城には総大将たる徳川秀忠が入城したとの口伝もあります。

155.jpg

 三の郭と本郭を隔てる堀です。しっかり深いです。

 第二次上田合戦でも、徳川軍は大きな損害を出して敗退・・

 しかも、関ヶ原に間に合わないという失態を秀忠を演じてしまいました。


158.jpg

 本郭の残存土塁です。

 第一次上田合戦、第二次上田合戦の2度にわたり徳川軍を撃退し、その名を天下にトドロカセタ真田昌幸ですが、関ヶ原では敗軍の西軍に加担したため、所領を没収され、九度山に流配の身となりました。

 染屋城はその際に、廃城となったものと思われます。

 昌幸の死後、二男の真田幸村が大坂の陣でその名を天下にとどろかせたのは、その15年後のことでした。

 ホームページ 「土の城への衝動」
スポンサーサイト



Comment
Re: 燈台下暗しとは・・・
らんまる様、ご来訪有り難う御座います。
この城は、私も遺構は残っていないと思っていたので、得した感じでした。
遠征のレポート、楽しみにしています。
燈台下暗しとは・・・
染谷台に城跡があることは知っていたが、これほどまでに遺構があるとは知りませんでした。
よそへ遠征に行ってる場合ではありませんネ(笑)
貴殿の探究意欲には頭が下がる思いです。

暑さに負けて空母瑞鶴など製作してる小生も、そろそろ遠征のシーズンに突入したいと思うております(汗)
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード