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小県岡城(1) ~ 小県の鎮城

 皆さん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。

 平成23年6月5日には、岡城へ行って参りました。お城仲間のМさんと一緒です。

a岡城アク

 長野県上田市岡にあります。上田市街から国道143号を西進し、仁古田交差点を右折し、浦野川を渡ったところにあります。

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 二の丸、北東側に大規模な堀が残存しています。

 1553年4月、この地を治めていた北信の雄、村上義清は家臣の裏切りにあい、本拠葛尾城を自落します。

 武田信玄は穀倉地帯の塩田平を含む、小県全域の支配に成功します。

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 ところが、同年7月、上杉謙信の助けを受けて村上義清が逆襲に転じ、塩田平を制圧、塩田平の南に位置する塩田城に入城します。

 武田信玄は、謙信との正面衝突を避け、一旦、甲斐に帰り体制と整えると、塩田城の支城をしらみつぶしに落としていきます。同年8月、村上義清はこらえきれずに越後へ敗走します。

 信玄は考えたのでした。塩田平からは年貢がたんまりと上納される豊かな地、二度と敵に蹂躙されてはいけない。塩田城は塩田平の南端に位置するので、北からの敵に対応できない。

 北には小泉氏の小泉城があるが、標高900メートルの山上にあっては、平地への影響力を行使できない。

 塩田平の北側、敵が室賀峠を越えて南下する位置に、巨大な平城を築き、敵を塩田平へは入れさせない。

 この岡の地は、西は安曇郡へ通じ、東は真田郷から上州へ通じ、南は大門峠をへて諏訪へ、北は室賀峠を経て川中島へ、正に交通の要衝である。この城を小県の政治の中心としよう・・以上、私の妄想でした。

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 イメージ図を作成しました。

 現状は破壊が著しいので、古図面等を参考に妄想を膨らませました。

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 イメージ図、左側の丸馬出しの跡です。半円形のラインが見て取れるでしょうか?

 上記の経緯から岡城の築城は1553年か、54年に開始されたと考えられます。

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 丸馬出しの周囲を固めていたと思われる三日月堀の跡のワズカナ窪み・・・

 城郭観察には妄想力が不可欠です。

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 三日月堀が弧を描いていますね。

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 イメージ図「ハバヒロイ」土塁に登りました。堀越しに城外が望まれ、その背後、写真中央の山が岡出城のようです。

 敵が岡城を囲んだときに、背後を脅かすことが出来ます。

 馬場美濃守縄張りへ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」
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Comment
これでも控えております・・・
 らんまるさま、ご来訪有り難うございます。
 本当はもっともっと攻めたいのですが、大学院の授業やレポートがあり、これでも控えております。
 しかし、控えすぎるとストレスがたまり、かえってレポートがはかどらなくなるので、騙し騙しと
いった感じです。
 浦野城は横尾さんに聞いていたのですが、飯綱山城と黒丸城は知りませんでした。勉強になります。
 二度攻めで攻略されましたか? やはり意地になることはありますよね。私は三度攻めでようやく
といったことも少なくありません。
 信濃に立つと、見渡す限り城、城、城で目移りしてしまいますね。
相変わらず攻めておりますねぇ~
最後の写真の手前小山の中腹には浦野城、そしてその向こうの山は飯綱山城で山頂に単郭の跡があるようです。
飯綱山の青木村方面の尾根には黒丸城があり南北朝時代の見事な連梯式の古城があります。この城跡は位置が特定できず二度も攻めてようやく落としました。青木村の宝だと思うのですが、扱いはイマイチ(笑)
信州の城は様々な様式がありとてもステキですね。
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