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佐久今井城 ~ 崖端の小塁

 皆さん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。

 平成23年5月14日には、今井城へ行って参りました。

a今井城アク

 長野県佐久市今井、千曲川と滑津川の合流地点の北側の断崖上にあります。

007_20110614161523.jpg

 イメージ図を作成しました。

 千曲川の断崖と、切り込む沢を利用して造られた崖端城です。

 残存部分を色で塗ってあります。色の無い線は私の妄想です。

137_20110614161721.jpg

 二の郭北側の堀です。埋められて浅く練っていますが、堀幅をご覧ください!

 幅10メートル近くあります。往時は深さも10メートルで3メートルくらいの高さの土塁が付属していたのではないでしょうか?

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 ここは、私が二の郭と、三の郭を隔てる堀があったのではないかと妄想する部分です。

 今井城に関する明確な資料はありません。近くに木曽義仲関連の史跡があることから鎌倉末期には存在していたのではないかとの説があります。

139.jpg

 二の郭から本郭方面を撮影しました。

 本郭が三角形である雰囲気が伝わりますでしょうか?

140_20110614162443.jpg

 本郭と二の郭を隔てる堀の中央部から北側を撮影しました。

 右が二の郭で、左が本郭です。

141_20110614162536.jpg

 本郭と二の郭を隔てる堀の中央部から南側を撮影しました。

 右が本郭で、左が二の郭です。堀は奥の方で右側に曲がり、千曲川の断崖に落ち込んでいます。

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 腐れかけた今井城の標柱・・・ 木に縛り付けられているところに哀愁が漂います。

 私はこのパターンのやつに、胸がキュンとなります。

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 本郭北側の堀兼沢です。めくるめく深さです。

 このように単純な作りながらも、防御性はかなり高い城であります。

 戦国期には、このあたりで武田氏と大井氏、武田氏と村上氏の戦闘が繰り返されたことから、今井城もある時点で補強され、活用されたのかもしれません。

145.jpg

 本郭から見下ろした千曲川でお別れです。

 平成23年7月18日追記
 一昨日入手した資料によると、天正壬午の乱で北条の配下となった佐久の土豪たちのなかに「今井氏」の記述がありました。
 妄想を働かせると「武田の支配下で逼塞していた今井氏が、武田の滅亡の混乱に乗じ、旧領を確保し、独立した。佐久では依田氏が徳川についていたため、その来襲に備え、今井城を急ぎ拡幅した。」ようなことが、あったかもしれません。

 ホームページ 「土の城への衝動」
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