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勝見城(6) ~ 上州侵攻の駐屯地

 勝見城の最終話です。

 第1話で、信玄が度々、余地峠を越えて上州へ侵攻し、ツイニ西上州を手中に収めたお話をいたしました。
 
 下ノ城と上ノ城のレポートをいたしましたが、これらに籠ることが出来る兵は数百です。

 上州侵攻戦には万の兵が投入されました。万の兵の駐屯地が別にあるはずです。

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 北から見た、勝見城全体のイメージ図です。「い」の部分は2~3千人ほどは駐屯できそうな面積がありましたが・・・ シャッターを押したつもりが・・・ 押されていなかったようで・・・ 申し訳ありません。

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 「う」の部分の写真です。万の兵の駐屯を考えると、このスペースも活用されたはずです。(妄想です!)

 左側が塁壁っぽく感じられませんか? 食い違いに見えませんか?

077.jpg

 この沢筋を登っていくと、ところどころに石積みが見られ始め・・・

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 ついに10メートルに及ぶ直線の石積みが現れました。

005_20110614144851.jpg

 イメージ図を作成しました。城主の館があったのではないか?(何の根拠もありません!)

079_20110614145047.jpg

 小口?と描いた場所です。枡形っぽく見えませんでしょうか?

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 沢沿いも、石積みで固めてあります。水流で崩れるのを防いでいたのでしょうか?

081_20110614150014.jpg

 実は、私・・ はじめは、ここから直上(道なき斜面を登ること)しました。

 良識ある皆さんは、第一話でご案内した、尾根筋のルートを選択してくださいね。

 とはいえ、尾根筋も決して安全とは言い切れませんので、重い土の城中毒にかかってしまわれた皆様のみ、トライしてみてください。

 追伸

 「らんまる」さんからご教授頂きました。
 この城を築いたのは伴野左近中将自成と云われ、花岡城(海瀬)から武州・上野に通じる街道の要所である依路(余地)へ本拠を移したようです。
 ご教授有り難うございました。

 ホームページ 「土の城への衝動」
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Comment
Re: かたじけのうござりまする
らんまるさま。御来訪ありがとうございます。
大井氏と伴野氏の抗争について、今後、勉強させていただこうと思います。
いつか、ご一緒させていただけるとありがたく・・・
大学院を卒業できたら・・
かたじけのうござりまする
毎回興味深く拝見させていただきました。
なるほど、山麓には宿城のような施設があっても不思議ではないと思います。
上州攻めに際して、甲斐の軍勢を引き連れて医王寺城(桜井山)や勝間反砦の宿城へ行くくらいなら、勝見城周辺に逗留したほうが懸命でしょう。裏付けの史料の発見が待たれますね。

木曽義仲に与した矢田義清の大崖城、四天王の一人と云われた楯六郎親忠の館跡が付近にあることから、この地は鎌倉時代からの要衝だったのでしょう。
佐久で大井氏と覇権を争った伴野氏一族がこの城を築いたのも当然の成り行きなのだと思われます。

で、直登ですか(笑)、小生も大好きです。命は大切にしないといけませんネ(爆)

小生の戯言まで掲載頂くとは恐悦至極でございます。
ありがとうございます。
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