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下畑城(2) ~ 佐久には珍しい

 下畑城の第2話です。

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 イメージ図を作成しました。

 佐久の在地衆の山城は「主要城域から派生する尾根に堀切を設けるものの、主要城域内の郭の区画は切り岸を主とすることが多く、堀があっても狭いもの」であることがほとんどです。

 しかし、下畑城では、ご覧のように広い堀で本郭と二郭を区画しています。佐久の山城には珍しい造りです。また、馬出しと思われる部分もあることから、下畑城は佐久の在地衆による創始ではなく、戦国期にこの地へ進出した武田勢の手によるものであると推察いたします。

 一方、二の郭と三の郭はどう見ても造りかけですので、武田の勢力が急速に北上する過程で、この地は安定した武田の支配地となった為に、下畑城はその存在価値が薄れ、普請の途中で放棄されたのではないかと思われます。

 下畑城に明確な資料が存在しないのは、存続の時期が短かったからではないでしょうか。以上、歴史素人、縄張りオタクの戯れ言でした。

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 馬だしから、土橋を、本郭方面に進んでいきます。

 土橋の左右が、ソレナリニ切り立っているのですが、ヤブデ・・・

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 土橋の先には小さな郭があり、本郭(小屋の建っているところ)からの射撃の制圧下にあります。

 土橋の背後に塁壁・・・ 武田系山城のセオリーですね・・

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 本郭へたどり着きました、笹コギです。

 小さめの御殿を建てるのには充分なスペースが確保されています。

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 本郭の、千曲川側には、腰郭が付属しています。

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 左が本郭、右が二の郭、中央が堀です。

 本郭側が切り立っていて、二の郭側がなだらかです。

 不公平・・・ 差別・・・ 堀切とでも申しましょうか?

 あいまい郭群へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」
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