FC2ブログ
HOME   »  中世城郭  »  海尻城(2) ~ 楽厳寺雅方見参?

海尻城(2) ~ 楽厳寺雅方見参?

 海尻城の最終話です。

034_20110528211932.jpg

 整備された遊歩道を登っていくと、出丸の小口に達します。2分ほどです。左右がやや張り出していて、横矢が意識されているのがわかります。

003_20110528210602.jpg

 1540年の正月、武田家の重臣、板垣信方が海尻城を奪取し、小山田備中が城将として守備に就いたとのことです。

035_20110528212611.jpg

 出丸です。佐久往還を見下ろす位置にあります。

 現地解説版と日本城郭体系によると、武田氏の佐久侵攻に脅威を感じた村上義清は、配下の猛将「楽厳寺雅方」を派遣しました。 楽厳寺城主です。

036_20110528213051.jpg

 出丸から見上げた本丸方面です。

 楽厳寺雅方は、佐久の反武田勢力を糾合し、同年12月、海尻城を包囲し、あっという間に三の丸と、二の丸を制圧してしまいます。

037_20110528213442.jpg

 本丸にたどり着きつつあります。本丸は三段になっています。この三段を、本丸、二の丸、三の丸とする解釈もありますが、段差は数十センチほどであり、賛同できません。

038_20110528213709.jpg

 本丸には解説版があります。

 小山田備中は、本丸を堅く守り、村上勢を撥ね退け、甲州から援軍が到着するに及び、楽厳寺雅方は撤退したとのことです。解説版には、額岸寺光氏と記されていますね。「甲越信戦録」には、額岩寺光氏と記されており、呼ばれ方は様々なのですが、楽厳寺雅方という呼び方が最も一般的のようです。

 彼は後に上田原合戦や戸石合戦で活躍したとされます。

039_20110528214008.jpg

 本丸の奥の方です。その向こうは切岸となっています。

 小山田備中と、楽厳寺雅方の対陣は、カルトマニアにとってはソソラレルネタですが・・・

 翌年5月には、武田信虎と、村上義清は共同で小県に出兵しており、前年に南佐久で両者の対戦があったかどうかは・・・

 小山田備中は1546年に佐久中央部の内山城代に任じられ、1548年に内山城へ攻め寄せた村上義清を撃退しているため、その事実との混同の可能性も・・・

 まあ、歴史ロマンということで・・・

041_20110528214421.jpg

 しだれ桜越しに見上げた本丸と西側の塁壁でお別れです。

 ホームページ 「土の城への衝動」
スポンサーサイト



Comment
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード