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湯川砦(原の城) ~ 小県侵攻の駐屯地

 皆さん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成23年4月16日には、湯川砦原の城へ行って参りました。

湯川アク

 長野県茅野市北山にあります。

 中央自動車道諏訪インターを降りて、国道152号を北東に10キロほど進みます。152号は、東へ大きく屈曲した後、方向を真北に変えます。そこに北山小学校があります。
 小学校の向かい側に車を停めても良さそうな、公民館っぽい場所があります。車はそこに停めさせていただきました。

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 原の城単独のイメージ図です。色を塗っている部分が残存部分で、あとは古図面からの妄想復元です。

 大門街道で、南から湯川砦に入る場所に設けられています。
 当時武田信玄は西の小笠原氏、北の村上氏と敵対していました。信玄が湯川砦で陣揃えをして北へ向かい村上攻めを敢行した際に、小笠原氏が塩尻峠を越えて諏訪に乱入し、南から湯川砦を制圧してしまえば、信玄の遠征軍は帰路をふさがれることとなります。それを防ぐために、湯川砦の南部分に原ノ城を設けて補強したのではないかと思われます。

 事実、1548年2月に上田原合戦で反武田の気勢が上がると、小笠原氏は諏訪湖西岸を制圧し、湯川砦には危機が迫りました。同年、7月の塩尻峠合戦で信玄が、小笠原氏を打ち破るまでの間でしたが・・・

063.jpg

 ここは現在道路ですが、往時は「砦の沢」と呼ばれる堀だったそうです。砦の沢は北山小学校を貫通し、枡形城まで続いていいたとのことです。

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 右側がイメージ図の「あ」で左側が農協です。写真の奥に行くほど深くなり、深さは10メートル以上ありそうです。

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 イメージ図「い」に降り立ち、農協側を見上げました。

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 「い」と農協を隔てる堀です。写真の奥で「あ」の郭の堀と合流しています。

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 「あ」の郭の南端にはこのような表示があります。私はその手前の舗装道路を進んで行き過ぎてしまいました・・・

 3回まわってようやく気がつきました。未舗装の道を進めば良いのだ!

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 進んでいきます・・・

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 更に進むと崖端に・・・

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 この標識があります。これを見つけるのに2時間を費やしました・・・

002_20110507165313.jpg

 湯川砦全体のイメージ図です。

 万の軍勢が楽に駐屯できるスペースがあります。タイムマシンがあったら、戦国時代へ飛び、ここで陣揃えをする武田軍団を見てみたいですね。

045_20110501191005.jpg

 朝倉山城から見た湯川砦の全景でお別れです。

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