FC2ブログ
HOME   »  中世城郭  »  諏訪朝倉山城「1」 ~ 峠に枡形

諏訪朝倉山城「1」 ~ 峠に枡形

 皆さん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。

 平成23年4月16日には、朝倉山城へ行って参りました。

湯川アク

 長野県茅野市湖東にあります。

028_20110428201910.jpg

 中央自動車道諏訪インターを降りて、国道152号を東に2キロほど進みます。
 御座石神社交差点を左折して、県道192号に移り、塩沢集落のあたりで県道424号に移ります。
v程なく写真の分岐がありますので、表示に従って左折し、田んぼの真ん中の十字路(ここは表示がありません)を左折します。

029_20110428202022.jpg

 十字路を左折したあたりから、朝倉山城を撮影しました。このまま進むと1分ほどで、登山口にたどり着きます。

030.jpg

 登山口の標識です。

 茅野市発行地誌によりますと、天文年間に、土豪の塩沢安兵衛が武田信玄に従って、大門合戦に功績があり、朝倉山城を守ったと伝えられるとのことです。

010_20110501183203.jpg

 尾根筋に到達すると桝形っぽい地形があったのでスケッチしてみました。

 番所が置かれていたのではないかと、妄想いたします。

032_20110501183406.jpg

 土塁が二本、山城側に伸びてつながっている写真です。上の図の中心部、右側です。

033_20110501183623.jpg

 尾根を登り始めると石仏が点在し、信仰の山であったことがうかがわれます。

005_20110501183749.jpg

 朝倉山城と、大門街道、湯川砦の位置関係をイメージ図にしました。

 朝倉山城は烽火台の役割を持っていました。すぐ、ふもとにある大門街道の要衝「湯川砦」の背後を固める機能もあったのではないかと考えます。

 敵対する村上勢が大門峠を超えたなら、朝倉山城に烽火が上がり、湯川砦は迎撃態勢を整えると共に、烽火を見た上原城兵が救援に駆けつけるといったケースを想定していたことと思われます。

 烽火台ネットワークへ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 
スポンサーサイト



Comment
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード