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下野多気城⑥ ~ 室町期の普請か

 多気城の最終話です。

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 食い違い土塁の小口を抜けて、「い」のスペースにはいりました。

 城主の御殿が建っていたと思われます。

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 本郭は土塁と堀で区画されていますが、土塁は低く、堀幅は狭いため室町期の遺構ではないかと妄想いたします。

 当時は、本廓と二郭のみの城で、「い」が本郭、「あ」が二郭、「う」が三郭、二郭が四郭であったかも知れません。

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 「い」の郭内部から見た、「う」と隔てる土塁です。

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 左が「い」の郭の土塁、中央が堀、右が「う」の郭です。

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 ウラの腰郭へ続く小口です。

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 ウラの腰郭を北側から撮影しました。

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 二郭から本廓の塁壁を見上げました。

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 二郭は削平が曖昧なうえ、ヤブデよくわかりませんでした。

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 北郭から、二郭の塁壁を見上げました。

 歴史解説を忘れていました。

 戦国末期、関東を北条氏が席巻し、宇都宮氏は次第に追い詰められていきます。

 宇都宮氏の本城「宇都宮城」は平城であったため、北条の大軍に包囲されたとき、持ちこたえることは不可能であると考えた宇都宮氏は、ここ多気山に本拠を移し、最終防御拠点として大々的な普請を行います。フモトをめぐる横堀や出構えがその時の普請であると考えられます。

 北条氏は数回、この城を囲み、城下を焼き払ったりしましたが、天険の多気城を落とすことはできず、撤退したということです。

 戦国末期であっても、領国統治のことを考えず、防御のみを主眼として考えた場合、やはり山城が最強であったということですね。

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 多気不動尊の写真でお別れです。

 バラエティーに富んだ遺構が楽しめますので、皆さんも訪問されてはいかがでししょうか。

 ホームページ 「土の城への衝動」
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