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静岡県千福城① ~ 武田信玄発給文書

 みなさん、こんにちは。

 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。

 平成21年2月14日に、千福城に行ってきました。

千福アク

 

 千福城は、静岡県裾野市千福にあります。

 国道246号線千福交差点北方約300メートル普明寺の裏山です。

IMG_1325.jpg

 ありました。普明寺は、武田信玄が当地で狼藉を禁止した書面が残っており、「武田信玄ゆかりの寺」として、知られているそうです。

 

 戦国時代は、戦いが始まると乱暴狼藉、人さらい、財産の根こそぎ没収などは当たり前でした。

 

 それを避けるためにその地の有力者はいち早く侵略軍へ接触し、多額の金品を贈与し、狼藉禁止の書面を得ることで、「根こそぎ」を回避し、最低限の生活を確保したのでした。

 

 書面は天文14年の日付です。北条氏康が川越城で関東管領軍を撃破する前年ですね。

 

 当時北条氏康が、この地を含む東駿河を領有していましたが、今川義元がその奪回を目論んで侵攻を開始、同盟の武田信玄も出陣しました。書面はその際のものだと推察されます。

 

IMG_1326.jpg

 普明寺の駐車場にシビックハイブリッドを停め、境内を徘徊すると和尚さんらしき方を発見! 

 

 「この近くにお城があると聞いてきたのですが?」

 

 「ありますよ、ここから登って行きなさい。大分荒れてしまっていますがね・・・ お帰りの際は社務所へお寄りなさい。資料を差し上げます。」


 「城? そんなもんねえべ」的な対応をされることが多いので、何とも言えぬ違和感が・・・

 

 お礼を申し上げて、和尚さんの指し示して下さった道を進みます。


 

IMG_1327.jpg

    すぐに幅の広い堀を発見しました。往時は深さが5メートルはあったと思われます。

 

 この地は、鎌倉の昔より、葛山氏が治めてきました。葛山氏は戦国期、今川氏の組下でしたが、武田信玄が駿河に侵入すると、葛山氏は信玄に通じその地位を保ちます。

 

m_20100130150936.jpg

 イメージ図を作成しました。

 

 北、東、南を、久保川に囲まれ天然の堀としています。

 

 西側を幾重にも掘りきっています。

 

 明確な小口が少なく、武田系、北条系の香りはいたしません。

 

IMG_1328.jpg

           四の郭の小口からイメージ図の裏側へと進入します。

 

 信玄配下として安定を得たかの様な葛山氏ですが、北条への内通を疑われ、当主を武田に殺されてしまいます。

 

 武田氏は、武田信玄の6男を葛山氏の養子として送り、葛山家を存続させました。

 

 

IMG_1329.jpg

        北側の腰郭と塁壁です。いろいろと写ってしまっていますね・・・

 

 日本城郭体系によると、「千福城は、はじめ葛山備中が在城し、後に御宿正倫が居住した。」とあります。葛山氏は、武田をはばかり、御宿氏と改名したのでしょうか?

 

IMG_1331.jpg

       腰郭からの先は道が無く・・・ 倒木が私に立ちはだかるのでした・・・

 

        和尚さん! 和尚さぁ~ん! 少しは手入れしてクダサ~い!

 

IMG_1332.jpg

         倒木はなくなりましたが・・・ 今度は笹藪がびっしりと・・・・

 

                  お し ょ う さ ぁ ~ ん ・ ・ ・ ・

 

 後半へと続く・・・

 

 ホームページ「土の城への衝動」 http://www5.plala.or.jp/tutinosiro/

 

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