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八幡館② ~ 黒羽古城か?

 八幡館の最終話です。

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 三の郭と二の郭を隔てる堀です。

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 大関氏は、黒羽城を築いて、白旗城から、黒羽城に移って来ました。

 白旗城の単純な連郭式構造と、八幡の単純な連郭式構造は酷似している。このことから初期の黒羽城は八幡舘であったのではないかと妄想いたします。

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 二の郭は、こんな感じです。

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 二の郭と本郭を隔てる堀です。

 関ヶ原前夜に徳川家康より派遣された徳川勢が、大関氏が住まう八幡舘を改修するよりは、その南に新たに築城した方が効率的であり、西国の進んだ縄張りも取りいれやすいと判断し、実行したのではないか。その結果、新たに築城された黒羽城がメインとなり、八幡舘は北方郭群に格下げされたのではないだろうか。

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 本郭の入口です。

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 本郭には神社が・・・

 逆説的に申し上げると、西国で多くの城攻め、篭城戦を経験してきた徳川勢が、黒羽城大改修に当たり、八幡館の如く堀の浅い単純連郭を構築するわけが無い。八幡館は大関氏が西国の進んだ縄張りを学ぶ前に構築したとしか考えられない。つまり、八幡館は「古黒羽城」ではないか? 以上、縄張りオタクの戯れ言でした。

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 大関公の碑が、黒羽城本丸ではなく、ここ八幡館本郭にあるのも、ここが大関氏の創始した本当の黒羽城「黒羽古城」だからではないか?

 我ながらしつこい!

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 東側から、本郭の塁壁を見上げました。

 縄張りオタクのザレゴトは、どうか、お聞き捨て下さい。

 ホームページ 「土の城への衝動」
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Comment
芭蕉館
Mさん。御来訪ありがとうございます。
 黒羽城は、芭蕉館の奥が凄かったのでしたか・・・
 那珂川側の切岸の比高が足がすくむのは覚えている
のですが、それ以外だと見逃したのかもしれません。
 諏訪原城にいかれましたか。
 連なる三日月堀のサイズに違いがありましたので、
両脇の小さいのが武田ので、真ん中の大きいのが徳川
ということでしょうか?
 今度、同行させて頂くときに詳しくお聞かせいただけるとありがたく存じます。        武蔵の五遁
No title
ご無沙汰してます。Kさんも行かれたようで(ブログにアップされてます)、素晴らしい城だとメールがありました。古城は芭蕉館の奥ですかね?Kさんは芭蕉館の奥がすごいとのことでしたが・・・・

先日諏訪原城の現説に行ってきました。
木々がすっかり刈払われ、大変見やすくなってました。
巨大三日月掘りは徳川によって作られた・・・ということで決まりのようですね。
その他、色々ありますが、今度お会いした時に。
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