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黒羽城② ~ 家康の捨てがまり

 黒羽城の第2話です。

 黒羽城が歴史上でもっとも、注目されたのは、関ヶ原合戦の前夜です。

 徳川家康は、秀吉の死後、伊達家と婚姻を結ぶなど野心をアラワニします。会津の上杉景勝は、これに反発し、挙兵の準備をします。家康は上杉討伐の軍を催し、栃木県の小山まで陣を進めます。黒羽城の大関氏は家康の元に馳せ参じます。

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 前回お見せした、水堀北側の土塁を北側から見ました。北側は駐車場となっています。

 そこで家康は黒羽城を「捨てがまり」に活用しようとしたのです。「捨てがまり」とは、読んで字の如く、死を前提に、敵の最前線に捨て置かれ、敵の進行速度を出来るだけ遅くさせる役割のことです。

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 城址公園の駐車場は土塁で囲まれています。

 当時、石田三成の挙兵と同時に、上杉景勝と佐竹義宣が下野から武蔵へ乱入し、家康を挟み撃ちにする構想は、両軍の共通理解でさえありました。その際、家康が江戸城へ逃げ込めるだけの時間を稼ぐ、捨て石が必要だったのです。

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 土塁のアップです。

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 家康は、配下を黒羽城に派遣し、鉄砲や兵士を供給すると共に、黒羽城を出来るだけ長く上杉勢を拘束できるものへと、大改造したのでした。

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 「う」の枡形を登っていきます。

 しかし、家康はこれだけでは安心できませんでした。

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 「う」の枡形の先には復元木橋があり、その先には「え」の枡形が・・・ 堅固ですね。

 疑い深い家康は、新参の大関氏があっさりと上杉勢に城を明け渡してしまうのではないかと心配しました。それでは「捨てがまり」は成立しません。

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 木橋の上から北側の堀を撮影しました。この掘は徳川兵が掘ったのでしょうか?

 家康は「黒羽城捨てがまり構想」を完璧にする為、篭城のプロを黒羽城に配置したのでした。

 忠義と篭城の系譜へ続く・・・・

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