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久長竜ヶ谷城③ ~ 室町中期の築城か?

 久長竜ヶ谷城の最終話です。

fe_20101231092409.jpg

 イメージ図を作成しました。

 本郭以外の削平は曖昧ですが、枡形、馬出し、屈曲小口が備えられ、これは、これで完成形であると思われます。そもそも普段は交代で物見番が一人いるくらいで、「敵が来たぞ!」となったら50人くらいが守備について、援軍が来るまで半日持ちこたえるか、敵が大軍であれば、放棄して逃げるかといった役割ですから居住性はあまり必要なかったことでしょう。

 塁線に折りがつけられ、横矢の意識はあるものの、その規模は小さい。本郭と二の郭の間の堀の両側に土塁を盛っている・・・ これらは室町中期上杉氏系の技法です。

 縄張りオタクの五遁は、この城の創設を室町中期と想像いたします。

 さて、前回まで搦め手から登り。本郭の下の段に到達いたしました。

 これからは、大手方面から、本郭までの守りを紹介して参ります。

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 三の郭北側の堀です。写真左手前から土橋が伸びています。

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 二の郭の塁壁です。

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 半枡形となっている場所です。

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 二の郭南側の土塁です。その向こうには堀があり、その向こうは本郭です。

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 馬出しです。

fe 060

 左が二の郭、中央が堀、左が本郭の塁壁です。

 この掘幅と深さは、戦国期のものではありえません。

fe 059

 本郭の小口を、外側から撮影しました。

fe 072

 東側から見た久竜ヶ谷城です。

 室町中期で、秩父地方に軍事的緊張があったのは、長尾景春が管領上杉氏に反乱を起こし、秩父地方でゲリラ戦を展開しようとした時期があるので、もしかしたら、それに関連した築城であったのかもしれません。

 ホームページ 「土の城への衝動」
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