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花園城① ~ 藤田氏居城

 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成22年11月27日、お城仲間のMさん&ぶんさんと花園城に行ってきました。

花園城アク

 埼玉県大里郡寄居町末野にあります。
 国道140号を、末野交差点から東に進み、秩父鉄道をまたぐ末野陸橋手前の信号を左折、秩父鉄道を渡ってすぐ左折すると、右側の山にこの神社が見えます。

fe 097

 この神社の左裏から登ることが出来ます。

fe_20101230161256.jpg

 イメージ図を作成しました。広大な上、藪で良く見えませんでしたので、スケッチはあきらめ、学習研究社「戦国の城・上」掲載の図面から起こしました。

 花園城は、関東管領山内上杉氏の重臣、藤田氏の居城です。

fe 074

 登りはじめると、「う」の竪堀にぶつかりますので、竪堀沿いに登っていきます。

 1510年関東管領上杉顕定が越後で戦死するという大異変が発生します。藤田氏は、天神山城より関東平野に近い寄居に花園城を築いて移ります。

 花園城は複雑な構造をしていますが、掘幅は狭く、鉄砲が関東にもたらされる以前、つまり、室町中期の築城である記録と、遺構の現状が符合しています。

fe 075

 斜面には削平地が多くありますが、城の遺構か、段々畑なのか判然としない部分も少なくありません。故にイメージ図には描きませんでした。

fe 077

 「う」の二本の竪堀が一本になり、二の郭の下の段に突き当たって、通路が左折する部分の写真です。

 1532年以降、小田原より北条氏が勢力を伸ばすと、藤田氏は、より、防御性の高い天神山城に本拠を戻します。

fe 078

 この付近には石積みが点在し、門が設置されていた可能性を感じます。

 藤田氏の本拠が天神山城に移った後も、花園城は秩父の入口を押さえる要所として、使用され続けていたと推察されます。

fe 079

 岩盤掘削へ続く・・・

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