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三河亀山城② ~ 勝頼に叛く

 亀山城の第二話です。

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 本郭に入りました。御殿を建てるのに充分な広さがあります。

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 現地解説版によりますと、奥平氏は室町の初期に群馬からこの地に移ってきました。徳川家康が今川家から自立すると、奥平氏はその傘下に入りましたが、武田信玄が勢力を伸ばすと、1571年に信玄に通じました。

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 本郭の土塁上から、南側の外土塁を見ました。

 翌1572年、武田信玄が亡くなると奥平家では、苦渋の決断が行われます。

 信玄が死んだら武田はおしまいだ。家康のもとに戻ろう。

 いや、武田の力は侮れない、武田のもとにとどまろう。

 奥平家では、家を二分することにより、どちらに転んでも家名を存続させる道を選んだのでした。

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 本郭北東の小口から二の郭を見おろしました。

 奥平家の下した決断は、次のようなものでした。

 おじいさんの奥平定勝は武田に従い、作手を保つ。

 お父さんの奥平定能と、孫の奥平信昌は、作手を捨てて、奥川家康のもとへ奔る。

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 お父さんの定能が、家康の元へ奔ったのが1572年です。一部の資料では、このあとすぐ定能が徳川軍と連携して作手を奪取した、ことになっていますが、これは後世、奥平家や徳川家により創作された歴史でありましょう。

 おじいさんの貞勝は、離反を恐れた武田により甲斐に移されます。

 残された奥平勢は亀山城にあり、イメージ図のように、武田方の古宮城と賽之神山城に監視されていたのでしょう。

 徳川家康は、領土を失った孫の奥平信昌を、長篠城に据えます。

 裏切り者を、国境に配置し、挑発し、武田軍が出てきたところを、織田信長との連携で撃破しようとの戦略です。

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 二の郭です。

 1575年、武田勝頼は挑発に乗り、出陣し、戦国史上有名な長篠の戦いへと発展します。

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 二の郭の登り枡形です。城攻兵を左右から攻撃し続けることができます。

 奥平家大躍進へ続く・・・

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