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山の固屋城① ~ 真田窮鼠の築城

 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成22年11月6日、お城仲間のMさんと山の固屋城に行ってきました。
 群馬県東吾妻町大字川戸にあります。

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 東吾妻町役場から県道28号を南西に進むと1キロほどで、左折する道があります。左折して、3,5キロほど南下すると、モータープールが現れ、その先に道の分岐があります。ここに車を停めると、南側の山が「山の固屋城」です。
 去年、西側からトライして撤退しました。今年は北側の尾根筋からトライします。

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 深沢川にかかる「あいのくらはし」を渡り、川べりへ下りて行きます。

 武田家滅亡後自立の道を目指した真田昌幸が1582年、絶体絶命の窮地に陥ります。

 真田昌幸は、信州上田から上州沼田にかけて細長い領地を保有していました。上州吾妻郡の岩櫃城は、上田と沼田の中継地点として重要視されていました。

 関東の覇王北条氏は、「岩櫃城を奪取すれば、真田領は2分され、沼田は立ち枯れとなる。」と考えました。北条は、越後と会津への交通の要衝沼田をどうしても手に入れたかったのです。

 北条氏邦は5千の兵を率いて武州鉢形城を出立、榛名山の西麓を草津街道沿いに北上し三の倉城、権田城、大戸平城、手子丸城を手中に収めました。手子丸城から岩櫃城までは4キロしかありません。手子丸城の先の川沿いの道には内出城がありましたが、山中の街道には何もありませんでした。そこで真田が急ぎ、山の街道の押さえとして、対北条の最前線に築いたのが「山の固屋城」であると推察されています。

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 川を渡ります・・・

 注意! このルートはリス管理上、お奨めできません!

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 今年は各地で熊が徘徊しています。

 ここで携帯用音楽プレーヤーにツナグト大音量を発するスピーカーを取り出します。

 ラジオ電波が届かない山中で働いてもらおうと、新たに購入いたしました。

 「目玉のおやじ」と名付けました。

 群馬の山中にベビーメタルが鳴り響きます。

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 タイトな尾根筋を登り始めます。

 各支城に兵力を分散させざるを得ない真田ですから、「山の固屋城」の守備兵は多くて50人ほどであったことでしょう。
 数千の北条兵を、50人で迎え撃つ、この過酷な使命を帯びた「山の固屋城」には、どのような縄張りの工夫が施されているのか、縄張りオタクである私の踏査への衝動は高まるのでした。

 遮断! 三重堀切へ続く・・・

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