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霧ノ城(2) ~ 境目の街道防衛

 霧ノ城の第2話です。

IMG_8192.jpg
 「C」の腰郭です。

 この郭は、写真の奥の方で狭くなり、再び広くなった場所が・・・

IMG_8193.jpg
 「D」の腰郭です。

 「D」の先、南側には何もありません。

霧ノ城
 霧ノ城は、下山郷(神流町)の北端に位置しています。

 逆に言うと、霧ノ城の南側の村々に支配すべき領民は居住しています。

 領国支配の為の城であるならば、南側に防御を施すはずです。

 ところが、霧ノ城の防御は、イメージ図の手前側、北側にのみ集中する偏りがあります。

IMG_8186.jpg
 「A」に設置されている標識です。

 霧ノ城の尾根道は、北は西御荷鉾山へ通じ、南は万場(神流町の中心集落)へ通じているということです。

 西御荷鉾山を越えて北に行くと、そこは鮎川流域で他国です。

 鮎川を下っていくと平井城へ至ります。

 つまり、他国勢力が北から下山郷(神流町)に侵攻するとしたら、この尾根道を経て万場を目指すことになります。

 その尾根上に霧ノ城があり、他国側、つまり、北側にだけ防御を施しているということは、霧ノ城が純粋に境目防衛のために築かれた、街道の押さえであったということになります。


IMG_8199.jpg
 二郭に入りました。

 普段は5~6名の兵士がいて、街道を行き帰する旅人の監視にあたり、情勢が緊迫してきたら、兵士を2~30名に増やす。

 敵が来たら狼煙を挙げて、麓の万場へ知らせ、敵兵を一定時間拘束し、万場での防備が整ったころあいに、城を捨てて四散するといった運用だったのかもしれません。

IMG_8201.jpg
 二郭から西堀切を撮影しました。

*室町時代、この地域に軍事的な緊張が走ったのは、長尾景春の乱のときです。

 平井城の関東管領上杉氏へ、家臣の長尾景春が反乱を起しました。

 長尾景春は、劣勢になると、秩父日尾城へ籠城しました。

IMG_8202.jpg
 本郭に入りました。

*第一話でお伝えした通り、室町時代、下山郷(神流町)は秩父に分類されまていました。

 景春の籠った日尾城から、万場は直線距離にして約7キロ。

 下山郷の土豪たちが景春に加担したとしたらどうでしょうか?


IMG_8204.jpg
 西御荷鉾山を隔てて北は関東管領の領国、南は長尾景春与党の領国となり、この霧ノの城は、管領対景春の最前線となったと想定されます。

 あくまでも仮定の話です。その頃の下山郷土豪の動向に関する記録はありませんので・・・
IMG_8205.jpg
 最高所には、祠が据えられていました。

IMG_8179_201410260855399a3.jpg
 西御荷鉾山方向からの、霧ノ城の遠景でお別れです。

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