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国峰城(7) ~ 嫁の親父に攻められる

 国峰城の第7話です。

IMG_3241.jpg
 「出丸」の先の「土橋」です。段差がありますね。

国峯城山城西部
*1552年、関東管領上杉憲正の居城平井城南、僅か一里に位置する御嶽城へ、北条氏康が攻めかかりました。

 上杉憲正は援軍を出さず、御嶽城は落城してしまいました。


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 「出丸」です。10人も籠れば一杯の狭さです。物見的な役割であったことでしょう。

*当時の領国は川や谷を単位としていました。

 御嶽城が落城したということは、神流川流域が北条の手に落ちたということになります。

 神流川は信濃との国境近くを源流としています。

 つまり、小幡氏領土の裏山の南側は北条氏の勢力圏となり、長く勢力圏を接する形となりました。


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 「西五郭」から「西四郭」を見上げました。

*小幡憲重は、領土を保全するため、北条氏康に出仕しました。

 小幡憲重は先に武田信玄へ出仕していましたが、信玄と北条氏康は同盟関係にあったので、支障はなかったのでしょう。

(小幡憲重は、御嶽城落城以前に北条へ内通してったとの話もあります。)

 上野は北条の領土に組み入れられ、管領上杉憲正は越後に逃れました。


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 「堀切」を横から撮影しました。

 堀底から「西四郭」へよじ登るのは難しく、南側へ迂回しなければなりません。

*1560年、上杉謙信が管領上杉憲正を奉じて、関東に侵攻すると、上野、下野、武蔵の諸将はこれに呼応しました。

 小幡憲重の嫁の親父にあたる、長野業正も謙信の傘下に加わりました。

 しかし、上杉憲重は謙信へ靡きませんでした。


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 西四郭の、南下の腰郭です。西腰郭へ登らずに、東側へ進もうとすると・・・・

*長野業正は国峰城へ攻めよせました。周囲に味方のいなくなった小幡憲重は城を捨て、武田信玄のもとへ身を寄せました。

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 「堀切2」から続く竪掘が、それを阻止します。

*嫁の親父に城を奪われる・・・ 正に血縁も、情も無い、戦国乱世ですね・・・

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 国峰城から遠望した、箕輪城です。

 「国峰城第8話・頼りがいのある信玄」へ続く・・・

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