HOME   »  2012年10月
Archive | 2012年10月

畑谷城(1) ~ 直江兼続侵攻

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成24年8月12日、お城仲間のMさんと畑谷城に行ってまいりました。

p001_20120909162241.jpg

 山形県東村山郡山辺町畑谷にあります。

 畑谷城は、慶長出羽合戦の激戦地として、そして、特異な縄張りの城として有名です。

 地元の皆さまの手厚い保護と整備を受け、遺構観察がしやすい状態に保たれています。

GEDC3239.jpg
 山城部分の遠景です。

*さて、1600年、上杉景勝の命を受けた直江兼続が2万の軍勢でこの地へ進軍してきました。最上義光を屈服させるためです。

p002.jpg
 現地配布資料掲載図面から、イメージ図を作成しました。

*伝説によると、最上義光は畑谷城の守将江口光清に対し、兵力の分散を避けるため、山形城への撤収を指示したが、江口は「武士の意地を見せるのはこの時」と、指示に従わず、籠城したということです。

GEDC3242.jpg
 解説版が設置されています。

*ここで私の妄想を・・・ 歴史は生き残った者が自分の都合のよいように作り変える。

 この時、最上義光は大きく兵力を分散させています。

 山形城、長谷堂城、畑谷城、山上城、谷地城、寒河江城、白岩城、八ツ沼城です。

 諸所の城を手分けして攻めさせることにより、上杉の兵力を分散させ、大軍の利を失わせ、消耗させる作戦であったと思われます。

 つまり、畑谷城は上杉軍を消耗させる捨て石になるよう最上義光に命じられていたと考える方が自然です。

GEDC3244.jpg
 街道に沿って、右側に長い堀があります。

*戦後最上家は24万石から57万石の太守へと加増され、伊達政宗と並ぶ奥州の顔となります。

 その奥州の顔が「家臣を捨て石に使う悪太守」というのでは人聞きが悪いので、上記の伝説がプロデュースされたのではないでしょうか?

GEDC3245.jpg
 街道の左側にも堀があります。 つまり、街道が長土橋状態であるということです。珍しい構造ですね。

*この伝説で最上義光は「家臣を大切に思い撤収を命じた慈悲深い太守」ということになります。

 江口光清にしても、「命令されて仕方なく死んだ武将」ではなく「主君の命に逆らってまで最上武士の意地を見せ、上杉軍を消耗させた英雄」となります。最上義光と江口光清双方にとって都合がいいストーリですね。

GEDC3246.jpg
 右側の堀は峠城部分で90度折れ曲がっています。

GEDC3248.jpg
 折れ曲がりの堀は、土塁とセットになっています。

 「畑谷城第二話・前田慶次布陣」へ続く・・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「東北の城」
スポンサーサイト
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード