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津川城(2) ~ 水運の要衝

 津川城の第2話です。

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 解説版があります。

 平時に城主が住む「居館」は対岸にあったとのことです。

*往時には、阿賀野川を通して、日本海と猪苗代湖を結ぶ、水運のルートが確保されていたそうです。

 猪苗代湖からは、会津の農産物を、越後からは日本海からの塩や海産物、更には西国の珍しい品などが行き来し、この地域の物流の大動脈であったとのことです。

 津川城は、その大動脈を管轄する関所的な役割を持ち、通行税などを徴収し、財政的には豊かであった思われます。

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 「搦め手土塁跡」の表示があります。

 イメージ図では「ニノ木戸」の防御をなす塁壁です。

*さて、300年以上にわたり会津を治めてきた芦名氏ですが、1589年、伊達正宗によって滅亡の憂き目にあいます。

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 木戸があったと思われる、塁壁に挟まれた狭い通路です。

*しかし、私戦禁止令を出していた豊臣秀吉は、伊達正宗の会津制圧を「禁止令違反」と断罪し、会津を正宗から取り上げます。

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*会津に入ったのは蒲生氏郷でした。

 蒲生氏郷は、家臣の北川平左衛門を津川城へ配しました。

 津川城は、北川氏の手により、西国の築城技術で拡張されたことと推察されます。

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 山城の領域への登りが始まります。

*蒲生氏郷は、会津に落ち着いていることはできませんでした。

 豊臣秀吉の命により、騒乱の続く東北地方の鎮圧に赴かなければならなかったのです。

 「葛西・大崎一揆」から「九戸の乱」の平定まで、蒲生氏郷は戦に明け暮れ、九戸の乱殲滅後は上方の文化の高さを東北の民へ見せつける為、九戸城を総石垣の城に改修する、普請奉行まで勤めさせられました。

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 登り道の途中で「二ノ丸」から下って来る「竪掘」に遭遇します。

*激務が体に応えたのでしょうか?

 蒲生氏郷は1595年、40才の若さでこの世を去ります。

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 「竪掘」をアップで撮影しました。藪でなければ見栄えするのですが・・・

 「津川城第3話・藤田信吉居城」へ続く・・・

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