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台ノ城推定地 ~ 妄想探索団

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成23年7月16日には、台ノ城を探して徘徊して参りました。
 お城仲間のMさんとWさんも一緒です。

 台ノ城は、長野県伊那市高遠町藤澤にあります。
 中田正光氏著「戦国・武田の城」に大まかな位置がしめされているだけで、他には情報はありません。

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 藤沢城から南側高遠城方面を見ると、視界を遮るような尾根の先端に若干の平坦地があるように見受けられました。烽火台ネットワークがあったとすれば、あの尾根の先端に烽火台があったはずだ。それが台ノ城かも知れない。

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 ふもとにたどり着きました。金毘羅社の奥から登っていきます。

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 急峻なジグザグ道で、足に乳酸がたまります。

 この道のジグザグの張り出し自体が防御構造になっている気もします。

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 頂上には金毘羅上社がありました。削平地がありますが往時のものかは判断がつきません。

002 (2)

 イメージ図を作成しました。

 削平地はあるのですが、背後に堀切がないので、ここを台ノ城と想定するのは難しそうです。

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 神社の背後には烽火用の穴かと妄想出来そうな穴が・・・

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 イメージ図「あ」のスペースです。

 スグ北の藤沢城では、平城と烽火台的山城がセットになっていた。城の構造は地域慣行要素が強い、となれば、ここは烽火台で、フモトに平城があったのでは?


042-2.jpg

 フモトに行くと、城地っぽい舌状台地がありました。

003 (2)

 イメージ図を作成しました。

 舌状台地の両側は切り立ち、渡沢川流域を封鎖するように伸びています。

 この奥には広勝寺があります。中世、寺は多くの僧坊を構え、門前市を形成し、独自のそして強固な経済圏を確立していました。この地も栄えていた可能性が、そして、この地を防衛する城があった可能性が・・と妄想は広がります。

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 台地の先端、本郭とオボシキ場所には神社が建っています。城跡に神社はよくあるパターンです。

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 神社と台地続きの方向には、堀跡とオボシキ窪みが・・・

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 二の郭跡と妄想する場所を進んでいくと、食い違いが・・・

 この場所が防御性集落であったことの証左ではないでしょうか?

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 三の郭とオボシキ場所から撮影しました。

 南側の山と、舌状台地の先端で狭隘地が形成されているのが見て取れます。

041_20110730110031.jpg

 神社から下った場所で、Мさんがこの石碑を見つけて下さいました。この地は昔、台村であったとのことです。

 台村の城だから台ノ城と考えると、腑に落ちます。

 妄想探索団3名は、ここが台ノ城であると思い込み、達成感に浸ったのでした・・・

 台ノ城は別の場所だよ!という情報がありましたら、お寄せ下さい。

 よろしくお願いいたします。

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