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湯川砦(枡形城) ~ 20メートルの丸馬出し

 皆さん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成23年4月16日には、湯川砦枡形城へ行って参りました。

湯川アク

 長野県茅野市北山にあります。

 中央自動車道諏訪インターを降りて、国道152号を北東に10キロほど進みます。152号は、東へ大きく屈曲した後、方向を真北に変えます。そこに北山小学校があります。

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 北山小学校から400メートルほど進むと左に功徳寺が見えますので、寺の前の道を左折すると100メートルほどで表示が迎えてくれます。

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  茅野市発行地誌によりますと、武田信玄は大門峠を越えて、小県や佐久に侵攻するさい湯川砦にて陣揃えをし、帰陣の際は湯川砦で一夜を明かしてから、遠征軍を解散させたとのことです。

 大兵の駐屯を容易にするため、台地全体を城域としていたようです。

 茅野市発行地誌掲載の古図面と、現状の地形観察と、「諏訪近代略史並城跡遺聞」の「二の丸は弦月形をしていて、二つに区切られている。本丸は方形である。」との記述を組み合わせて合成しました。
 また、砦の沢は上流より水を引き、水流の力を借りて土をかき崩し、堀としたとのことです。

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 正面方向の遺構はほとんど残存していないようです。

 甲陽軍艦には・・・・

 (武田信玄は)甲州と信州の境、葛窪に三日逗留されて、それより湯川へお馬を寄せられ、湯川で二日逗留され、(小県の)長久保を焼き払い・・・と、記されています。

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 枡形城単体のイメージ図です。

 昭和の初めの頃まで、丸馬出しが残っており、写真もあるとのこと。その写真から想定される丸馬出しの直径は20~25メートルと言うことです。他の城の丸馬出しの直径は数メートルほどのものが多く、大規模な普請がされていたことになります。
 枡形城という名前からどこかに枡形があったはずだという思い込みから、枡形も加えてみました。新府城にあるタイプの丸馬出しと枡形のセットです。

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 北側に一部、土塁が残存しています。

 武田系第一級記録の「高白斎記」によると砥石合戦の翌日、信玄は湯川に逗留したとの記述があります。

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 南側の「砦の沢」と呼ばれる堀も残存しています。

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 北から東にかけては、断崖の下を川が洗っています。

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 川側から見上げると、強固な防御ラインとなっていたことがわかります。

 小県攻略に失敗し、村上勢が大門峠を越えて攻め入ったきたとき、この防御ラインが威力を発揮するはずだったのですね。

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