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岩殿城① ~ 平安よりの聖地

 中世城郭愛好家土の城派、武蔵の五遁です。
 平成22年8月8日、岩殿城に行ってきました。

 山梨県大月市にあります。

岩殿アク

 城跡の南に位置する「岩殿山丸山公園」からの登山道が整備され、富士のビュースポットでもあるため、多くの方が訪れるメジャーな城です。

n 011

 城の南側の斜面には巨大な岩がせり出しています。その岩の南側には20メートルの断崖を擁する桂川渓谷があります。一般的には、南側の桂川と巨大な岩を防御とした「単純な山城」として理解されています。
 私はひねくれ者なので、一般論にすぐ納得はしません。

①南側「岩殿山丸山公園」からの登山道は、往事の登城路ではなかった。
 古図面を見ると、今の登山道とは別に、大手道と、搦め手道が記載されている。搦め手は東に伸びている。

②岩殿城は、東へ備える城であった。
 岩殿城は甲斐の国の一番東にある重要拠点で、東側の武蔵の国からの侵攻に備える城であった。それ故、南ではなく東側に防御構造が現存しているはずである。

③小山田軍900の展開スペースが不可欠
 岩殿城主の小山田氏は郡内(上野原市、大月市、都留市、富士吉田市、富士河口湖町、押野村、山中湖村、鳴沢村)を、支配下に治め、900名の動員が可能であった。しかし、岩殿山上の郭は狭く、300も籠もればギュウギュウである。山上以外に兵士が駐屯し、展開する場所があったはずだ。それは、東側ではないか?

 以上の思い込みから、搦め手東側の現地踏査を開始しました。

n 014

 本丸から東に派生する尾根の先に「円通寺跡」を発見しました。
 平安初期から、山岳修験道の名刹として栄え、周囲にはあまたの僧坊(修行僧の宿舎)があったとのことです。岩殿山に登る道として一番最初に整備されたのが、東側の道であることが判りました。

n 012

 東から見た岩殿城です。南から見ると丸っこく見える山ですが、こちらから見ると、細尾根であることがわかります。

n_20100821144629.jpg

 同じ角度から見た、イメージ図です。
 イメージ図です。グーグルの写真を参考にしています。

 比高15メートル以上の河岸段丘上を「あ」「い」「う」の三本の堀で区画しています。「う」は天然の沢ですが、「あ」と「い」は、人工のニオイが・・・
 円通寺から真蔵院にかけてが、本郭相当、僧坊が二の郭相当、神倉が三の郭相当、岩殿が四の郭相当と考えるとわかりやすいと思われます。
 北の小菅村方面からの攻めようとすると「う」の沢が、天然の堀となって侵入をこばみます。
 「B」の登城路より、「A」の登城路の方が城の中心へ、すぐに入れそうですが、子神神社が、砦をなしてせり出しており、侵入は容易でありません。

 岩殿城東部の防衛拠点であった可能性を感じます。

 段丘上を区切る堀へ続く・・・

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