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東京都牛込城 ~ 大胡氏の避難所

みなさん、こんにちは。
中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
平成23年5月19日、仕事で都内を移動していたら、偶然、牛込城址にめぐり合いました。


牛込城

 東京都新宿区袋町十五番地にあります。

n 010

 JR飯田橋駅から「神楽坂」を登り、「地蔵坂」を進むと・・・

 牛込城の創始を語るのには、少々回り道が必要です。

 群馬県赤城山の南山麓に、 「大胡城」が、あります。創設は大胡氏で、平安か鎌倉までさかのぼると言われています。 


n 013

 ユネスコ・アジア文化センターがあります。

 このアタリが、牛込城であったとのことです。

 大胡氏は、関東管領山内上杉氏の家臣でした。ところが戦国期に入ると、小田原北条氏が関東を席巻します。
 
 山内上杉氏が越後に逃れると、大胡氏は北条の配下となりました。


n 012

 文化センター西側の光照寺も城域であったそうです。

 光照寺の西側は、地形が落ち込んでおり、ここが城跡であったことを感じさせてくれます。

 山内上杉憲正は、越後の長尾景虎へ上杉の名を譲り、長尾景虎は上杉謙信となり、関東へ進出します。

 群馬県はあっという間に、北条氏康の支配下から、上杉謙信の支配下となってしまいます。

 大胡氏は、北条への忠誠を示す為、自らの所領を捨て、北条氏に庇護を求めました。


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 北条氏康は、大胡氏の忠誠に応え、江戸城近くの、牛込の地に所領を与えました。

 大胡氏は、地名を採用し「牛込氏」を名乗り、「牛込城」を築いたとのことですが、北条氏の重拠点は、川越城や滝山城であったため・・・

 大胡氏が新たに強固な城を築く必要は無かった・・・ アエテ言うならば・・・

 強固な城を築くことは反乱と捉えられる・・・

 多分、居館程度のものであったと思います。


n 017

 牛込城址のすぐ近くに、赤城神社があります。

 赤城出身の牛込氏が、赤城神社から分霊したとのことです。

 豊臣秀吉により北条氏が滅ぶと、牛込氏は一旦所領を失いますが、子孫は徳川家に召抱えられたとのことです。


n 016

 赤城神社は、現在、立て替え工事中でした・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」


 

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