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新潟県浦佐城① ~ 三郎景虎への援軍を撃破!

 みなさん、こんにちは。

 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。

 平成20年11月22日に、浦佐城に行ってきました。

a浦佐城アク  新潟県南魚沼市浦佐にあります。

 山城の師匠「武蔵富岡さん」、Mさんにもご一緒いただけました。

 

 実は、平成19年の夏にトライしました。

 浦佐毘沙門堂に隣接する尾根上にある・・・との情報を元に、毘沙門堂の北側の尾根を延々登り、結局何も無いことを確認・・・・ 2時間の倒木との格闘でした・・・

 気をとりなおして、毘沙門堂の南側の尾根にトライするも藪に阻まれ断念しました。

 

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               今回も藪を覚悟しておりましたが・・・

 

 昨年には、無かった看板があります!!

 しかも! 藪は刈り払われ、登山道までついているではありませんか?!

 

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        程なく、山麓に二段の削平地を発見! 居館の跡でしょうか?

 

 浦佐城は、築城や歴代の城主など確かな資料は残っていません。しかし、戦国末期ここで攻防戦が繰り広げられた記録は残っています。

 

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 先ほどの削平地からすぐに、尾根に出ることが出来ます。狭い細尾根を延々と登っていきます。

 

 戦国末期の1578年、上杉謙信が亡くなると、その後継をめぐって「御館の乱」が勃発しました。

 新潟県魚沼出身の景勝と、小田原北条氏から養子に入った三郎景虎の争いです。

 

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                  途中、若干の平場があります。

 

 小田原北条氏は、三郎景虎に援軍を派遣します。

 援軍1万5千は、群馬県から三国峠を越えて、新潟県へ侵入します。しかし、そこは景勝の強力な地盤「魚沼」だったのです。

 

IMG_0817.jpg

 平場を過ぎるとまた、延々と細尾根を登ります。浦佐城への攻撃路は、ほぼ、この細尾根一本ですので、そのこと自体が、強力な防御となっていたことでしょう。

 

 景勝方の清水藤左衛門が篭る浦佐城には、北条氏照、北条氏邦、北条高広、河田重親らの軍勢が殺到しましたが、清水は良く守り、これを撃退したとの事です。

 

IMG_0818.jpg

 ついに、本城域へはいりました。塁壁に沿って細長い郭があります。常に塁壁上から攻撃を受ける上、その狭さから、大軍の利を生かすこととが出来ない設計となっています。

 

 北条軍は浦佐城攻略をアキラメ、浦佐城南約1キロにある坂戸城へと攻撃の的を変えます。

 浦佐城将清水は、坂戸城を攻める北条軍を背後から攻撃し、これを撃退します。

 

IMG_0819.jpg

 腰郭は、斜面に沿って展開していますが、奥まで進むと、張り出した塁壁により行く手を阻まれ、2方向からの攻撃にサラサレます。

 

 北条軍は、三郎景虎の許へ近づくことができぬまま時を過ごし、三郎景虎は、鮫ヶ尾城にて自刃に追い込まれます。

 

IMG_0821.jpg

                腰郭から塁壁を見上げた写真です。

   登るのは不可能な角度です。往時はハシゴなどで行き来していたものだと思います。

 

 「御建の乱」は、上杉景勝の勝利に終わり、北条軍は撤退、浦佐城将の清水は景勝から感状を賜ります。

 

IMG_0822.jpg

 塁壁を登る為に土の階段が造られていました。公園化による破壊は許されませんが、この程度は・・・・ あると思います。

 

 このように、浦佐城は「御館の乱」の帰趨にかかわる重要な役割を果たした城なのです。

 

 整備を南魚沼市役所に呼びかけていましたが、この度、遺構を破壊せず、遺構が見やすい状態に整備して頂き、感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 後半に続く・・・・

 

 ホームページ「土の城への衝動」 http://www5.plala.or.jp/tutinosiro/

 

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