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鎌原城 ~ 加沢記攻防の舞台

今回は平成19年の夏に行った奥群馬のレポートです。
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 鎌原城は、北軽井沢を支配した鎌原氏の居城です。  「加沢記」よると、1562年3月に東の中之条町を支配していた岩櫃城主斉藤憲広の侵攻を受け、鎌原城は落城し、城主の鎌原幸景は、武田信玄を頼って落ち延びました。  岩櫃城主斉藤憲広は、鎌原城に羽尾入道を入れ、引き上げます。  鎌原幸景は、鎌原城奪還の期をうかがっていました。  そして、約半年後の10月に好機が訪れました。  油断した羽尾入道が城を出て、万座温泉へ湯治に向かったのです。  鎌原幸景は、この期を逃さず、鎌原城を急襲し、入城に成功したとのことです。武田信玄の意を受けた真田幸隆の支援があったものと推察されます。  以後、鎌原氏は武田軍団「上州先方衆」として各地を転戦することとなります。鎌原幸景の嫡子鎌原筑前守と郎党は、1575年に長篠の戦いで織田・徳川連合軍に負死し、この地に戻る事は無かったとのことです。
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 二の郭跡には、柱と石碑があります。真田六文銭のマークがあるのはわかるのですが、何故「霊城」なのか理解に苦しみます。この場所の雰囲気が大変陰鬱な感じがすることと関係があるのでしょうか?
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 三方を断崖に囲まれた要害の地であり、残りの一方を掘り切れば防御は完璧です。  しかし、三の郭までの区画をしていた堀切は、「嬬恋高原キャベツ」生産の為に、埋められてしまいました。写真右側に若干の窪みを残すのみです。  歴史遺産の不当な扱いに心が痛みます。
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 イメージ図を作成しました。吾妻川の洗う断崖上に位置しています。  吾妻川からの比高は100メートル以上あると思われます。  近くには、鎌原観音堂があります。  浅間山が大噴火した際、この観音堂の麓まで溶岩流が押し寄せたことで有名です。  この観光地、鎌原観音堂駐車場の向かいに伸びる小道に入り、小川にかかる橋を越えてすぐに右側に進みます。  延々とキャベツ畑が続くので不安になりますが、迷わず進み続けると、紹介させていただいた石碑などが出迎えてくれます。  ホームページ「土の城への衝動」 http://www5.plala.or.jp/tutinosiro/

 

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