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埼玉県小倉城②~孤高の石積山城

小倉城の後半です。

 

image7819219[1]

 北側のイメージ図です。

 右下の⇒ に沿って進むと、北郭からの攻撃をあび続けることとなります。

 そして、到達する先は枡形小口です。枡形小口に入ると四方からの攻撃を受けることとなります。最強のキルゾーンといえます。

 枡形小口を避けようと、斜面を図の左側に迂回しようとしても、竪堀がそれを許しません。

 

100_1145.jpg

 ただいま説明した進入路です。右上が北郭、奥に進んで右折すると枡形小口です。

 

100_1148.jpg

 枡形小口を、イメージ図左側から見た写真です。奥が北郭です。

 

image6313541[1]

 イメージ図中央、上方の本郭石積小口です。

 

100_1139.jpg

 本郭は、それほど広くありません。篭れて150人程度でしょうか?

 地方の小城は、少数持久が使命ですから、合理的な面積といえましょう。

 

100_1150.jpg

 高志書院「戦国の城」による推察を記します。

 山内上杉氏と扇谷上杉氏が抗争を繰り広げていた頃に、何らかの防衛拠点がこの山に設置された。

 小田原北条氏が、武蔵に進出し、扇谷上杉氏を駆逐すると、比企地方を治めていた上田氏は、北条氏に下ります。

 しかし、北条氏は、上田氏が再度寝返るのではないかと心配し、上田氏の領国の中心に当たるこの地に、直臣の遠山氏を派遣し、小倉城を構築せしめ、上田氏を監視させた。

 

 以後、私の妄想です。

 石積は、居館(現大福寺)から、見える範囲に集中しており、居館を訪れる納税者に対して、権威を見せる為の象徴として、石を積んだのではないかと思います。

 上田氏の城にはこれだけの石積は見られませんので、上田氏に対して、遠山氏が上位であることを印象つける為に有効だったのではないでしょうか?

 

 

ホームページ「土の城への衝動」   http://www5.plala.or.jp/tutinosiro/

 

 

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