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岩井堂 ~ 秩父26番札所

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成29年1月28日、お城仲間のМさんと岩井堂に行って参りました。

a根岸城

 埼玉県秩父市下影森にあります。

 経路は昭和電工さんの敷地内にあります。

 昭和電工さんの入場ゲートで車を停め、岩井堂へ行きたい旨をお伝えすると、駐車場への経路を教えてくださいます。

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 駐車場に車を停め、谷底の道を数分進むと・・・

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 長い長い、階段があります。

 頑張って登りましょう!

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 上から見下ろすと、かなり急な階段であることがわかります。

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 登り切った場所にある表示です。

 岩井堂は、もうすぐのようです。

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 短い階段の先に、屋根が見えてきました。

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 岩井堂の下につきました。

 懸崖造りという、建築工法で、江戸時代中期のものであるということです。

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 登り道があります。

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 登ってきました。

 脇に巨大な岩があります。

 昔は、岩に神秘の力が宿ると信じられていたようです。

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 お堂の正面です。

 木彫とお札が、オリエンタルですね。

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 畠山重忠に関する、絵物語のようです。

 尋ね入り むすぶ清水の岩井堂 心の垢を すすがぬわなし という歌があるそうです。

 みなさんも、心の垢をすすぎにいらしては、いかがでしょうか?

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覚林寺 ~ 清正公

 五遁です。

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 面白い名前の交番ですね~

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 交差点の名前まで・・・

 清正公とは、「賤ヶ岳の七本槍」にして、「肥後52万石」の太守、加藤清正さんのことでしょうか?

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 ということで・・・

 平成28年11月24日、覚林寺に行ってまいりました。

 東京都港区白金台一丁目にあります。

 「開運守護清正公大神儀御鎮座」と記されています。

 どうも、加藤清正さんに何かのゆかりがあるようです。

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 本堂です。

 ゆかりを調べてみました。

 加藤清正さんは、秀吉の命令で、朝鮮半島に攻めこみました。

 加藤清正さんは、李氏朝鮮王家の人物を日本に連れて帰りました。

 その人物は僧侶となり、この覚林寺を開山しました。

 境内には、加藤清正さんの位牌と像が祀られているので、古くから地元民は「清正公」せいしょうこうと呼び親しんだということです。

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 清正公堂です。

 ここでは、本堂より、こちらが主役ですね。

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 1845年の大火で焼失し、山門は1856年に、清正公堂は1865年に再建されたということです。

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 清正公堂には、「破摩軍」の額が掲げられています。

 加藤清正さんは、戦に大変強かったため、ここに参拝すると勝負運がアップすると信じられ、多くのアスリートが来訪するそうです。

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六義園 ~ 柳沢吉保造営

 五遁です。

 平成28年11月26日、六義園に行って参りました。

六義アク

 東京都文京区本駒込六丁目にあります。

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 六義園は、江戸時代に柳沢吉保が造営した庭園です。

 柳沢氏は、甲斐の国で武田家に仕える武川衆に属した土豪でした。

 武田家滅亡後、いち早く徳川家康に従ったため、召し抱えられました。

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 柳沢吉保は、上野館林藩主徳川綱吉に仕えていました。

 当初は、530石と決して大身ではありませんでした。

 ところが運よく、上司の徳川綱吉さんは、館林藩主から、江戸幕府の将軍へと抜擢されました。

 柳沢吉保さんは、館林藩士から、幕臣へと栄達を遂げたのでした。

 1780年のことでした。

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 柳沢吉保さんは、将軍の覚えがめでたく、どんどん加増されました。

 1688年には、1万2千石で上総佐貫藩主になりました。

 1694年には、7万2千石で武蔵川越藩主に・・・ 川越藩といえば幕府のお膝元ですね。

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 1695年には、加賀藩の下屋敷跡地を拝領し、六義園を造営しました。

 将軍綱吉は、この六義園をたいそう気に入り、58回も訪れたということです。

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 1704年には、15万石で甲斐甲府藩主にまで栄達しました。

 530石から、15万石ですから、夢のような話ですね。

 妬みを持つ人も多かったことでしょう。

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 将軍綱吉が退位し、柳沢吉保が逝去すると、柳沢家は大和郡山へ移封となりました。

 六義園も次第に手入れが行き届かなくなってしまったそうです。

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 明治元年には、岩崎弥太郎が六義園を購入して、整備し直しました。

 岩崎さんは、三菱財閥の創始者ですね。

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 1938年に、東京都へ寄贈され、都立庭園として、一般に公開されるようになりました。

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一乗寺 ~ 人見氏墓所

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成29年1月某日、一乗寺に行って参りました。

人見氏館

 埼玉県深谷市人見1612-2にあります。

 一乗寺には、人見氏のお墓があるということです。

 人見氏は、武蔵七党猪俣氏の分流であるということです。

 人見氏は、室町時代の初め、丹波の国へ移っていったということです。

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 山門です。

 600年以上も前に没落した豪族の墓所を守り続けているというのは、ある意味凄いと思います。

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 本堂です。

 人見氏の菩提寺としての役割から、地域の皆さんの菩提寺としての役割へと、変わっていったのでしょうね。

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 人見氏の墓所の写真でお別れです。 
 
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佐竹稲荷神社 ~ 開き直りの美学

 五遁です。

 平成29年1月某日、佐竹稲荷神社に行ってまいりました。

佐竹稲荷アク

 千代田区内神田3-10-1にあります。

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 神田駅西口を降りて、3分でたどり着けます。

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 神田に何で佐竹なのかな? と、頭に???が湧き、やってまいりました。

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 この地には、出羽佐竹氏の屋敷があったということです。

 ところが、1682年の大火であたりは焼け野原に・・・

 佐竹氏は仕方なく、屋敷地を下谷三味線堀へ屋敷地を移しました。

 幕府は、佐竹屋敷跡地を町民へ与え、再開発を任せたようです。

 長富町などの町名がつけられていましたが・・・

 明治維新で、新しい町名が考えられたようです。

 佐竹屋敷があったということから、佐竹氏の家紋にちなんで旭町としたということです。

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 佐竹氏の家紋といえば・・・

 五本骨扇に月丸です。

 伝説によると、源頼朝挙兵のおり佐竹氏は頼朝に抵抗していましたが、やがて屈服しました。

 頼朝のもとに参じた佐竹秀義に対し、頼朝は・・・

 「私の旗は白旗だ。佐竹も同じ白旗か。同じではまずいな・・・」

 扇を投げ与え、「旗にこれでもつけておけ!」的な経緯で、旗印と家紋が扇になったとか・・・

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 佐竹の家紋・・・

 扇に月丸なのですが・・・

 当時のお役人さんが、月を太陽(日)と間違えて、旭町にしてしまったということです。

 ウケル!!

 間違えがなければ、月町になったのでしょうか? ちょっと暗い感じですね。

 だとしたら、五本骨町? 

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 昔の地図が掲載されています。

 お濠の近くだったんですね。

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 敷地6畳ほどの極小神社です。

 おやっ? あれは・・・

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 ナント!!!!

 五本骨扇に  です。

 悪びれず・・・ 強引に・・・ 開き直り・・・

 間違いではなかった!と主張していますね。

 超 ウケル!!!!!!

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 旭町のいわれは記されていますが、佐竹稲荷神社の縁起は記されていません。

 ネットで調べたところ・・・

 佐竹氏が江戸屋敷敷地内に建立した神社だそうです。

 関東大震災の後の区画整理で、この地に移されたということです。

 旭町の皆さんの誘致があったのかな~?

 旭町の皆様の心意気を見に、立ち寄ってみてはいかがでしょうか?

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