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酒列磯前神社 ~ 金運の神様


 みなさん、こんにちは。
 武蔵の五遁です。
 平成30年4月14日、酒列磯前神社に行ってまいりました。

磯前アク

 茨城県ひたちなか市磯崎町4607-2にあります。

吉尾城IMG_8685

木の生い茂る長い参道・・・

 風情がありますね。

吉尾城IMG_8686

 鳥居です。

 平安の頃、創建されましたが、中世には寂れてしまっていました。

 水戸光圀公が、再興を手掛けたということです。 

吉尾城IMG_8690

 水戸斉昭公が参拝された際、腰を掛けられた石があるということです。

 最後の将軍「徳川慶喜」のお父さんですね。

吉尾城IMG_8691

 この石ですね。

 最後の将軍「徳川慶喜」も、若いころこの神社へ参拝したのでしょうか?

 水戸公ゆかりの神社ですが、現在は金運ご利益の神社として有名です。

 この神社にお参りした方が、宝くじの高額当選者となったということです。

吉尾城IMG_8694

 当選者となった方は、お礼にと、この亀を寄進しました。

 それ以来、金運のご利益があると、参拝者が増えたということです。

 また、参拝者の中から宝くじ当選者が続々と・・・という噂が・・・

吉尾城IMG_8692

 ご利益にあずかる手順が示されています。

吉尾城IMG_8687

<手順1>

 神社に参拝する。

吉尾城IMG_8689

<手順2>

 金運お守りを受ける。

(購入しましょう!ということですね)

吉尾城IMG_8693

<手順3>

 亀の頭をなでる。

吉尾城IMG_8688

 手順通りにいたしました・・・・

 どうぞ・・・ よろしくお願いします。

吉尾城IMG_8696

 那珂湊を見下ろす方向にも鳥居があります。

 元々は、海の荒ぶりを鎮め、港を守って下さい・・・と、願う神社だったのかもしれません。

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川尻塚 ~ 復讐の逆さ埋め

 みなさん、こんにちは。
 武蔵の五遁です。
 平成30年3月10日、川尻塚に行ってまいりました。

川尻60

 山梨県甲府市岩窪町にあります。

武田D048

 武田信玄公墓所(信玄公火葬塚)の目の前に、川尻塚の表示があります。

*甲斐で川尻といえば・・・

 川尻秀隆さんですね。

 美濃の土豪の出で、織田信長に仕えました。

Kawajiri_Hidetaka.jpg

 電子辞書から引っ張ってきました。

*美濃攻め、伊勢攻めにて戦功を上げ、重く用いられました。

 長篠合戦の後、武田の支配していた美濃岩村城を攻囲し、降伏した武田兵を皆殺しにして、甲斐の民の恨みを買いました。

武田D049

 小学校の跡地と思われる空間へ入っていきます。

*武田家滅亡の際、先鋒の大将は信長の嫡男、織田信忠でした。

 しかし、実質上の指揮は副将の川尻秀隆が執っていたとされます。

 川尻秀隆は、戦功により甲斐と諏訪を与えられました。

 織田信長は、甲斐の武田一族や重臣たちをしらみつぶしに探し出し、殺してしまいました

 その信長への恨みも、川尻秀隆へ向けられたとされています。

武田D050

 通路があり、奥に柵があり、表示があります。

*川尻秀隆は、躑躅ヶ崎館にいたという説と、ここ、岩窪館にいたという説があります。

 本能寺の変が起き、織田信長が死んだとの知らせが甲斐に入ると、甲斐は騒然となりました。

 関東に配された滝川氏や、信濃に配された森氏は領地を支えきれずに西国へ帰ってしまいました。

 甲斐の民は思いました。

 今なら・・・

 憎き川尻秀隆を殺しても、誰のとがめを受けることもない・・・

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*平山優著「天正壬午の乱」によりますと・・・

 甲斐では一揆が蜂起し、その勢力は日に日に増していった。

 徳川家康は川尻の力になりたいと、家臣の本田信俊を派遣したが、川尻は家康が甲斐を横領しようとしているのだと考え、本田信俊を殺してしまった。

 本田信俊の家臣たちは、主君の敵を討つべく、甲斐の一揆と同心し、川尻を攻め殺した。

 川尻の家来三千はほとんどが殺され、または、散り散りに落ち延びたということです。

 甲斐の民は、憎き川尻秀隆を逆さ釣りにし、その姿勢のまま土へ埋めた為、逆さ塚とも呼ばれたということです。

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 川尻さんとしては、「織田信長の命令の通り、懸命に働いただけ」だったのでしょうが・・・

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武田信玄公の墓

 みなさん、こんにちは。
 武蔵の五遁です。
 平成30年3月10日、武田信玄公の墓に行ってまいりました。

川尻60

 山梨県甲府市岩窪町にあります。

武田D040

 躑躅ヶ崎館訪問後、古府中の街をぶらぶらしていたところ・・・

 信玄公墓所の表示がありました。

 行ってみましょう!

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 表示が続いています。

 火葬塚の表示もありますね。

 どういうことでしょうか?

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 ここのようです。

 堀で囲んでありますね。

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 風林火山の旗もひらめいています。

*武田信玄は遺言で、自らの死を3年秘匿せよと遺言したとの伝説がありますが、そのことと関係があるのでしょうか?

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 解説版があります。

*要約すると、信玄公は死後3年経過したときに恵林寺にて法要が行われ、埋葬された。

 正式に法要が行われるまでの3年間、仮に埋葬されていたのがここであるとの言い伝えがあるようです。

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 江戸時代、この地の代官が真偽を確かめようと発掘したところ、法性院信玄大居士と記された石棺が出土した。

 それを聞いた武田旧臣たちが、石棺を埋め戻し、四囲を聖域とし、石碑を建立したといいことです。

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 甲斐の英雄よ、安らかに眠り給え・・・
 
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武蔵府中熊野神社古墳 ~ 上円下方墳

 みなさん、こんにちわ。

 中世城郭愛好家、武蔵の五遁です。

上円下方墳001

 平成30年2月某日、国史跡「武蔵府中熊野神社古墳」に行ってまいりました。

上円下方墳002

 東京都府中市西府町2丁目9番地、熊野神社境内にあります。

 駐車場はないので、JR西府駅から8分歩きましょう。

上円下方墳004

 神社のすぐ裏ですね。

 古墳がご神体ということでしょうか?

上円下方墳005

 発掘調査の結果をもとに復元工事が行われ、平成17年に、国の史跡となりました。 

 これが1350年前の姿であるということです。

 葺石と呼ばれる石で、表面がおおわれていたんですね。

上円下方墳006

 熊野神社の境内に立地していたため、破壊を免れたようです。

上円下方墳007

 この西側からが、全体像をつかみやすいですね。

 府中市には、大化の改新の後、武蔵国の国府がおかれました。

 国府をおさえる有力者のお墓だったのでしょうか?

上円下方墳008

 古墳のすぐ近くには、

 国史跡武蔵府中八幡神社古墳展示館があります。

上円下方墳003

 館内にはこのような展示が多数あります。

 上円下方墳は、前方後円墳の後に出できた形であるということです。

上円下方墳009

 古墳館のわきには、石室が復元されています。

 古墳館の職員の方に声をかけると、ヘルメットを渡され、中に入ることができます。

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 ここに有力者の棺が安置されていたのでしょう。

上円下方墳011

 石室に差し込む光の写真でお別れです。

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伊奈神社 ~ 知られざる英雄


 みなさん、こんにちは。
 武蔵の五遁です。
 平成29年12月某日、伊奈神社に行ってまいりました。

伊奈神社アク

 静岡県駿東郡小山町須走71にあります。

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 伊奈忠順を祀った神社です。

 伊奈忠順は一般的にはあまり知られていない人ですよね。

 私も「歴史秘話ヒストリア」で初めて知りました。

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 伊奈家は三河の土豪でした。

 伊奈忠次の代で、徳川家康に仕えました。

 徳川家康が関東に移されると、それに従いました。

 土木工事の才を生かし、利根川の付け替え工事等で関東の治水に多大な功績を残しました。

 以後、伊奈家は幕府における土木工事を担当することとなったようです。

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 1707年、富士山が噴火しました。

 宝永の大噴火と呼ばれ、半年間も続きました。

 富士山の東側、当時御厨と呼ばれていたこの地域は火山灰に埋もれ、農耕ができなくなってしまいました。

 当時の伊奈家当主、伊奈忠順は幕府より、すなよけかわさらい奉行に任じられ、噴火災害復興の最高責任者となりました。

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 伊奈忠順は、生活に困った御厨の民を、酒匂川治水工事作業員として雇い入れました。

 更に、御厨の民の代表を幕府の高官へ引き合わせ、御厨の復興予算を勝ちとりました。

 その予算で、御厨の地に降り積もった火山灰を掘り、以前の畑の土を地表に出す「天地ガエシ」を行い、農作を復活させようとしました。

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 しかし、農作復活の道は険しく、御厨の民に飢え死にの危機が迫りました。

 伊奈忠順は、禁を犯し、幕府の蔵を開き、米を御厨の民に提供しました。

 御厨の民は、命をつなぐことができたのでした。

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 伊奈忠順は江戸へ連れ戻され、奉行を罷免され、二度と御厨の民の前に現れることはありませんでした。

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 御厨の民は、「伊奈様は責任を取って、切腹した」 「自分の命と引きかえに、我々を守ってくださった」のだと噂しあったということです。

 そして、伊奈忠順の志に応えようと、農作の復興を成し遂げました。

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 あの美しい富士が、御厨の民を地獄に引きずり込んだなんて、信じられないですね。

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 御厨の民は、伊奈忠順を祀る小さな祠を立て、感謝し続けました。

 昭和32年に、神社として現在の地に移されたということです。

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 私欲と保身にまみれた私ですが、知られざる偉人の生きざまに憧れを持つことを許していただければと思います。

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