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稲村城(3) ~ 正木様

 稲村城の第3話です。

_MG_3683.jpg

 「お」から、西側を撮影しました。

 谷を隔てて、中郭があります。

_MG_3684.jpg

 中郭部の表示です。

 家臣の屋敷などがあったのでしょうか?

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 中郭から、正木様を撮影しました。

稲村南

 攻城兵が中郭部を制圧し、城の中心部へ向かおうとすると・・・

 正木様の手前で通路が狭くなり、そこに正木様から射撃を浴びせられることとなります。

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 正木様への登り口です。

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 この小さな祠が、正木様のようです。

 里見氏の親族衆で重臣正木氏に関係する祠であると推察いたします。

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 正木様から尾根筋を北へ向かいます。

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 「い」のあたりは、幅が広いのですが、これから城の中心部に近づくにつれて、尾根は狭まっていきます。

 敵兵が大勢で進めないようにする工夫ですね。

 「稲村城第4話・堀切道」へ続く・・・

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稲村城(2) ~ くりぬき小口

 稲村城の第2話です。

_MG_3603.jpg

 堀切3が見えてきました。

 同行のМさんが通っている通路は、往時は無く、堀切3へ通じる道だけであったと思われます。

 同行のМさんが通っている通路は、近世に段々畑への道として開かれたものと思われます。

_MG_3604.jpg

 堀切3です。

 堀切としましたが、重要な小口でもあったと思われます。

_MG_3693.jpg

 見栄えする場所なので、もう1枚。

 左右の頭上からの攻撃と、正面からの攻撃が用意されています。

稲村南

 尾根筋を切り立て、その一部をくりぬいて小口にする手法は、里見氏の城に散見される手法です。

_MG_3691.jpg

 堀切3を抜けて、振り返りました。

_MG_3690.jpg

 抜けた場所は、桝形のようになっていますね。

_MG_3689.jpg

 小口を抜けて城の中心部へ向かいます。

_MG_3610.jpg

 振り返りました。

 ここを進む間、東(写真左)の尾根上から、頭上攻撃を仕掛けられる構造です。

 「稲村城第3話・正木様」へ続く・・・

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稲村城(1) ~ 里見氏二番目の城

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成29年2月4日、お城仲間のМさんと稲村城に行ってきました。

稲村アク

 千葉県館山市稲にあります。

 里見氏は、室町期に公方家より南房総制圧を命じられました。

 当初は、白浜城を居城としていましたが、更に北へ勢力を広げる為、この稲村城に移ったとされます。

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 麓にある解説版です。

 16世紀前半に、里見氏三代目義通(よしみち)が居城としたと記されています。

 *カメラの撮影モードが、知らぬ間に変更指されてしまっていたようで、全編にわたり、色合いのおかしな写真となってしまったことを、お詫び申し上げます。

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 解説版の近くには「う」が突き出していますが、ここから登るのではなさそうです。

_MG_3594.jpg

 南側へ行けと、指示があります。

稲村南

 先人の図面と、自らのスケッチをミックスして起こしました。

 東側斜面には、無数の段々がありますが、往時の郭ではなく、近世の段々畑であると判断し、記載しませんでした。

_MG_3598.jpg

 南へ向かい、岡に突き当たると「水往来」の表示があります。

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 ここが大手道だったのでしょうか?

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 更に登っていきます。

_MG_3602.jpg

 右側に岩壁が・・・・

 「稲村城第2話・くりぬき小口」へ続く・・・

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碓氷峠陣城(5) ~ 前田利家在陣か?

 碓氷峠陣城の最終話です。

碓井新城IMG_5097

 本郭南側の堀は、西側(写真奥)が、浅くなっています。

碓井新城IMG_5096

 二郭の下に土塁があり、東の堀底から本郭方向へ進むのを妨げています。

碓井新城IMG_5098

 「D」は窪んでおり、また、右側に土を盛った形跡があるので、小口ではないかと推察いたします。

碓氷峠陣城南

 1589年、豊臣秀吉は、小田原北条氏へ宣戦布告をしました。

 豊臣秀吉は、前田利家、上杉景勝、真田昌幸らに、碓井峠から関東へ攻め下るように命じました。

 翌1590年、真田の偵察隊が碓氷峠に差し掛かると、北条兵に遭遇して撤退。

 前田、上杉の本隊が、碓氷峠に差し掛かると、今度は北条軍が撤退し、 「松井田城」 へ籠りました。

 碓氷峠を占拠した前田利家の御座所として、この碓氷峠陣城が築城されたのではないかと思われます。

碓井新城IMG_5085

 三郭の南側に来ました。

碓井新城IMG_5083

 本郭と四郭を隔てる堀。

碓井新城IMG_5084

 「F」から、本郭「E」へ向けて通路が伸びています。

碓井新城IMG_5099

 反対側から「E」を撮影しました。

 小口であったと推察いたします。

碓井新城IMG_5071

 本郭です。

 三郭のほうが高いのですが、三郭は狭く南西方向からの侵入が容易です。

 臨時の陣城とはいえ、前田利家の仮小屋を建てるには、それなりの広さが求められてのではないかと考え、勝手に本郭と思い込みました。

 素人の思い込みなので、お聞き捨てください。

碓井新城IMG_5074

 本郭土塁上から北側を映した写真でお別れです。

 アクセスは容易ですし、危ない場所もありません。

 ご家族が旧軽銀座でショッピングをしている隙に、踏査するのも良いでしょう。

 ある程度縄張り知識のある方に、おすすめです。

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碓氷峠陣城(4) ~ 幅広2本堀

 碓氷峠陣城の第4話です。

s碓井峠陣城北

 碓井峠陣城の南東方向には2本の幅の広い堀があります。

 元々、沢的な窪みがあったところへ、若干手を加えて堀にしたのではないかと思われます。

碓井新城IMG_5064

 五郭から、南側を撮影しました。

 木の葉っぱで見えにくいのですが、かなりの幅があることが伝わると思います。

碓井新城IMG_5065

 堀底を撮影しました。

 堀は東へ行くほど深く、西へ行くほど浅くなっています。

碓井新城IMG_5090

 堀底に降り立ち「い」を見上げました。

 なかなかの高さです。

碓氷峠陣城南

 南側からのイメージ図です。

 素人の目測ですので、正確ではありません。

碓井新城IMG_5088

 「あ」の先端。

碓井新城IMG_5091

 南から見た「C」

碓井新城IMG_5093

 堀底から「C」へ道が続いており、横入小口のようになっています。

碓井新城IMG_5094

 登ってきました。

碓井新城IMG_5066

 別角度から・・・

 南側には、兵士が大勢駐屯できるような緩斜面が広がっているので、そちらの将校が出入りした門があったのでしょうか?

 「碓氷峠陣城・前田利家在陣か?」へ続く・・・

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