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 土の城と、福祉などについて、ひとりごとを・・・

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三光院 ~ 真田信利トンデモ伝説

 みなさんこんにちわ。

 中世城郭愛好家土の城派、武蔵の五遁です。

 平成28年9月17日、お城仲間のМさんと、三光院に行ってまいりました。

 群馬県沼田市柳町392にあります。

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 門前を通る道は、往時の街道であるようです。

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 真田昌幸が、武田家の先兵として沼田城を奪取した際の名残でしょうか?

 こちらのお堂の屋根には、「武田菱」が掲げられています。

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 別のお堂です。

 三光院と、初代沼田藩主真田信利にかかわる伝説が残されているということです。

 真田信利は、三光院所蔵の千手観音の評判を聞き、これを手に入れたいと考えました。

 「三光院の住職よ、ワシは領主じゃ。千手観音をよこしなさい。」

 「これは寺宝故、殿さまでもお譲りすることはできません。」

 「今に見ていろ!」

 真田信利は、信徒が三光院を参拝できないように妨害しました。

 すると沼田城下に疫病がはやり、真田信利も病に・・・

 「これは千手観音様のお怒りかもしれない・・・」

 真田信利は、嫌がらせをやめ、千手観音を安置する観音堂を寄進したので、疫病はなくなったということです。


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 お堂の木彫が見事です。

 真田信利については ⇒ 「池の薬師堂水牢 ~ 真田信利の圧政」

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 街道を挟んで向かい側に、観音堂があります。

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 真田信利が、沼田城の鬼門よけとして、月夜野にあったお寺を 「幕岩城跡」 に移し、千手観音を本尊としたのだということです。

 千手観音の怒りを恐れて、月夜野の人々から、お寺を取り上げてしまったということでしょうか?

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 三光院の境内にあるお地蔵さんです。

 いわれがあるようです。

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 三光院の、月夜野の末寺で本山である「三光院」に行くことを願い、即身成仏した僧がいたということで、その願いを託すお地蔵様を設置したということです。

 先ほどの、月夜野から寺を移したという話と関連があるのでしょうか?

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「史跡の部屋」


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そば処山水 ~ 夏新蕎麦の二八

 五遁です。

 平成28年9月17日、お城仲間のМさんと「そば処山水」に行って参りました。

 群馬県沼田市秋塚町113 にあります。

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 自然のど真ん中にあります。

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 店構えも素朴な感じで、私の好みです。

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 9月というと、秋そばの収穫前で、古いソバの実が使用される場合が多いのですが・・・

 夏収穫の新蕎麦が頂けるとは・・・ 超ラッキーです!

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 今日のお蕎麦は、小麦粉20%、そば粉80%の、二八蕎麦であるということです。

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 塩・天婦羅、薬味付きの「山水そば・大盛り」をオーダーいたしました。

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 まず、山葵と卸金が出てきます。

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 蕎麦を待つ間、山葵をおろしていると、爽やかな香りが広がり、食欲が増して参ります。

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 見た目に良いソバだとわかったので、まずは、何もつけないで頂きます。

 口の中に新蕎麦の風味が広がり・・・ 極楽・・・ 極楽・・・

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 次に、お店の方のお勧めで、藻塩をつけて蕎麦を頂きます。

 先ほどより、そばの甘みが引き立ち・・・ 

 私がこれまで群馬で食べてきた蕎麦の中でもトップグループに所属します。

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 ネギ、茗荷、生姜、大根おろし、刻み葱が添えられています。

 お漬物に、卵焼きも・・・

 この後は、そばつゆをつけていただきました。

 おつゆも出汁の香りがしっかりした、どっしりとした味で、私の好きなパターンのやつでした。

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 天婦羅は、舞茸、人参、茄子、モロッコインゲンと、もう一つが何の野菜かわからなかったのですが、ふわふわした触感で楽しめました。

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 一文銭蕎麦も添えられていて、お茶目です。

 小洒落たお店で、更科系をあっさり頂きたいという方には不向きですが・・・

 蕎麦の風味をしっかり味わえれば、それで充分という方には最適です。

 車で3分ほどの場所に、「天神城」 がありますので、お城&蕎麦好きの方には、セットでのご訪問をお勧めいたします。

 ⇒ 「そば処山水」

 ホームページ 「土の城への衝動」 

沼田天神城(3) ~ 川場合戦布陣図

 沼田天神城の最終話です。

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 本郭に入りました。

 直下は断崖ですから、転落防止柵は必要ですね。

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 遠くに赤城山が見えますね。

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 8年前にはなかった解説版があります。

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 沼田万鬼斉は、沼田周辺を治める領主でしたが、上杉謙信へ降伏し、沼田城を嫡男へ譲り、天神城へ隠居しました。

 天神城で妾さんと暮らしていましたが、妾さんとの子供に沼田城主を継がせたくなり、嫡男を謀殺しました。

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 嫡男の嫁の実家は、上杉謙信の重臣で前橋城代の北条高広でした。

 北条高広は、周辺の上杉配下へ号令をかけ、天神城を攻めさせました。

 「川場合戦」です。その布陣図ですね。

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 沼田万鬼斉は、城を支えることができす、妾さんとの間につくった子供を連れて逃亡・・・

 沼田氏は三浦氏の分流とされ、同じ三浦氏の分流とされる会津の芦名氏を頼りました。

 その逃亡経路図ですね。

 お妾さんは逃避行中に病死、万鬼斎は芦名氏のもとで客死・・・

 息子の沼田平八郎は、由良氏より兵を借りて、沼田城奪取を目指しましたが、返り討ちに・・・

 その経緯は、こちらに ⇒ 「沼田大明神 ~ 沼田氏断絶」

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 川場かるた「自然の要塞、天神城」でお別れです。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「群馬の城」

沼田天神城(2) ~ 真田丸効果

 みなさんこんにちわ。

 中世城郭愛好家土の城派、武蔵の五遁です。

 平成28年9月17日、お城仲間のМさんと沼田天神城へ行ってまいりました。

天神城アク

 群馬県沼田市大字天神にあります。

 8年ぶりの再訪です。下に8年前のレポートを張っておきます。

 この城に関するエピソードを記してあります。

 ⇒ 「群馬県天神城 ~ 沼田家没落の城」

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 8年前は、案内板も駐車場も無く・・・

 随分遠くに車を停めて、延々と徘徊した後、ようやくたどり着いたのですが・・・

 今回は、案内板がここかしこにあり、駐車場も用意されていてびっくりです。

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 遊歩道に、転落防止用の柵まであります。

 真田丸効果で整備されたのでしょう。

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 本郭側から見た推察二郭です。

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 推察二郭西側の塁壁です。

 自然の谷を活用しているとはいえ、高さ、鋭さとも申し分ありません。

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 推定二郭と本郭は、長土橋で結ばれています。

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 本郭の左(東)側の塁壁の切り立ちをご覧ください。

 縄張りの工夫が一切不要の要害地形です。

 「沼田天神城第3話・川場合戦布陣図」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「群馬の城」

真田信吉墓所 ~ 冷遇の嫡男

 みなさnこんにちわ。

 中世城郭愛好家土の城派、武蔵の五遁です。

 平成28年9月17日、お城仲間のМさんと天桂寺に行ってきました。

 群馬県沼田市材木町309にあります。

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 沼田城下で、真田家の墓所を預かるだけあって、立派なお堂ですね。

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 真田信之は最初に、お父さんのお兄さんの娘と結婚し、嫡男真田信吉をもうけました。

 真田幸隆 - 嫡男真田信綱(長篠で戦死) - 娘
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        - 次男真田昌輝(長篠で戦死)    |
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        - 三男真田昌幸 -嫡男信之- 結婚 - 真田信吉

 三男である昌幸が真田家を継ぐにあたっては、嫡男信綱の関係者から異論も出たことでしょうから、信綱家と三男家の融和策としての婚姻だあったと推定されます。

 真田信之は、その後、徳川家康の養女小松姫と結婚し男子をもうけました。

 徳川幕府ができて、世が収まった時点で、「真田信綱の娘との子」と、「徳川家康の養女との子」、どちらを取るかといえば、答えは明白です。

 徳川家へはばかったのか真田信之は、「真田信綱の娘との子」信吉を本拠の上田へ入れず、沼田の統治を任せました。

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 用水路に赤い橋がかかっていますね。

 沼田城は、河岸段丘の上に位置しています。

 つまり、川からずっと上の、川の無い大地です。

 そのため城下町を発展させるには、水の確保が必要不可欠でした。

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 人工の川、用水路を引いて、城下町を発展させたということです。

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 この部分だけ、往時の石積みが残存しているということです。

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 その後、真田本家が上田から松代へ移された後も、真田信吉は沼田に留め置かれました。

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 真田信吉は、嫡男でありながら真田家を相続することなく40歳で生涯を終えました。

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 少々、見えにくいのですが、墓石には六文銭が刻んであります。

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 この解説版では、信吉の母は徳川家康の養女大蓮院と記されていますね。その説もあるにはあるようです。

 真田家を相続した・・・ 家康養女の子の系統により流布された説でありましょうか?

 また、信吉を沼田藩主と記していますが、これは誤りです。当時、沼田はあくまでも松代藩の一部でしかありませんでした。

 真田信吉は、死しても、松代へ入ることは許されす、沼田に留め置かれたのでした。

 冷遇の嫡男よ、安らかに眠り給え。

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