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 土の城と、福祉などについて、ひとりごとを・・・

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大多喜城(2) ~ 大井戸

 大多喜城の第2話です。

大多喜城IMG_8465

 御殿のあった郭には、現在、高校が建っています。

大多喜城IMG_8490

 高校の駐車場の西端にフェンスで囲まれたスペースがあります。

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 大井戸です。

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 二重の囲いがあり、中を覗き込めません。

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 上から撮影しました。

 木が邪魔ですね。

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 周囲17メートル。深さ20メートルで、水が尽きることなく湧き出ることから「底知らずの井戸」と呼ばれたそうです。

大多喜城IMG_8467

 大井戸付近から模擬天守を見上げました。

 「大多喜城第3話・本丸への道」へ続く・・・

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大多喜城(1) ~ 薬医門

 みなさん、こんにちは。
 武蔵の五遁です。
 平成30年3月17日、お城仲間のМさんと大多喜城に行ってまいりました。

大多喜城

 千葉県夷隅郡大多喜町大多喜482にあります。

 戦国時代は小田喜正木氏の城でした。

 徳川家康が関東へ移されると、配下の本田忠勝が大改修し、大多喜城としたそうです。

大多喜城IMG_8457

 大多喜駅の東側に模擬大手門があります。

 実際は大多喜駅の北西に大手があったそうです。

大多喜城縄張り

 地形図に郭を落とし込みました。

大多喜城IMG_8458

 三の丸の南東端の塁壁です。

 市街化により破壊され、地形から往時をしのぶしかありません。

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 テニスコートから、奥のほうが三の丸です。

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 テニスコートの西側が高くなっています。

大多喜城IMG_8461

 登ってきました。

 御殿のあった郭です。

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 門がありますね。

大多喜城IMG_8463

 薬医門であるということです。

大多喜城IMG_8464

 門を反対側から撮影しました。

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 門の北下のグランドは、二の丸跡であるということです。

 「大多喜城第2話・大井戸」へ続く・・・・

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男梅ソフト ~ 眠気吹き飛ぶ強酸味


 ごとんです。

 平成30年4月14日、男梅ソフトを食して参りました。

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 常磐自動車道「美野里PA・下り」にそれはありました。

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 手塩にかけた、心にしみる梅ぇ味のキャッチに引き込まれ、購入を決意!

 しかし、それらしいブースは見当たりません。

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 この軽食コーナーで販売されているとのことです。

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 自動販売機で、「ソフトクリーム」の食券を購入します。

 次に窓口で、バニラソフトか、男梅ソフトか、ミックスかを表明します。

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 甘さと、しょっぱさと、酸っぱさが同居した・・・

 なんとも言えない味です。

 私は好きです!

 何よりも、強烈な酸味で、 眠気が吹っ飛ぶ のがうれしいです。

 個性的な味がお好きな方は、是非、ご賞味あれ!

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川尻塚 ~ 復讐の逆さ埋め

 みなさん、こんにちは。
 武蔵の五遁です。
 平成30年3月10日、川尻塚に行ってまいりました。

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 山梨県甲府市岩窪町にあります。

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 武田信玄公墓所(信玄公火葬塚)の目の前に、川尻塚の表示があります。

*甲斐で川尻といえば・・・

 川尻秀隆さんですね。

 美濃の土豪の出で、織田信長に仕えました。

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 電子辞書から引っ張ってきました。

*美濃攻め、伊勢攻めにて戦功を上げ、重く用いられました。

 長篠合戦の後、武田の支配していた美濃岩村城を攻囲し、降伏した武田兵を皆殺しにして、甲斐の民の恨みを買いました。

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 小学校の跡地と思われる空間へ入っていきます。

*武田家滅亡の際、先鋒の大将は信長の嫡男、織田信忠でした。

 しかし、実質上の指揮は副将の川尻秀隆が執っていたとされます。

 川尻秀隆は、戦功により甲斐と諏訪を与えられました。

 織田信長は、甲斐の武田一族や重臣たちをしらみつぶしに探し出し、殺してしまいました

 その信長への恨みも、川尻秀隆へ向けられたとされています。

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 通路があり、奥に柵があり、表示があります。

*川尻秀隆は、躑躅ヶ崎館にいたという説と、ここ、岩窪館にいたという説があります。

 本能寺の変が起き、織田信長が死んだとの知らせが甲斐に入ると、甲斐は騒然となりました。

 関東に配された滝川氏や、信濃に配された森氏は領地を支えきれずに西国へ帰ってしまいました。

 甲斐の民は思いました。

 今なら・・・

 憎き川尻秀隆を殺しても、誰のとがめを受けることもない・・・

武田D051

*平山優著「天正壬午の乱」によりますと・・・

 甲斐では一揆が蜂起し、その勢力は日に日に増していった。

 徳川家康は川尻の力になりたいと、家臣の本田信俊を派遣したが、川尻は家康が甲斐を横領しようとしているのだと考え、本田信俊を殺してしまった。

 本田信俊の家臣たちは、主君の敵を討つべく、甲斐の一揆と同心し、川尻を攻め殺した。

 川尻の家来三千はほとんどが殺され、または、散り散りに落ち延びたということです。

 甲斐の民は、憎き川尻秀隆を逆さ釣りにし、その姿勢のまま土へ埋めた為、逆さ塚とも呼ばれたということです。

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 川尻さんとしては、「織田信長の命令の通り、懸命に働いただけ」だったのでしょうが・・・

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甲府城(23) ~ 天守台

 みなさん、こんにちは。
 武蔵の五遁です。
 甲府城の最終話です。

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 最高部のへの石段を登っていきます。

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 天守台です。

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 登ってきました。

 中央部がへこんでいます。

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 周囲の高い石垣へ登っていきます。

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 登って、へこみ部分を振り返りました。

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 西側の本郭を見下ろしました。

 左に鉄門が見えます。

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 南下には鍛冶郭が広がります。

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 東側は、稲荷郭の天守東広場が・・・

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 北下は、稲荷郭からのスロープ。

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 天守台からの、躑躅ヶ崎館方面。

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 天守台からの、南アルプスの風景でお別れです。

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